ている様子が余所目《よそめ》にも看《み》て取れるのであった。 さて、いよいよその季節が来て、何日頃が見頃であると云う便りがあっても、貞之助と悦子のために土曜日曜を選ばなければならないので、花の盛りに巧《うま》く行き合わせるかどうかと、雨風につけて彼女たちは昔の人がしたような「月並な」心配をした。花は蘆屋の家の附近にもあるし、阪急電車の窓からでも幾らも眺《なが》められるので、京都に限ったことはないのだけれども、鯛でも明石《あかし》鯛でなければ旨《うま》がらない幸子は、花も京都の花でなければ見たような気がしないのであった。去年の春は貞之助がそれに反対を唱え、たまには場所を変えようと云い出して、錦帯《きんたい》橋まで出かけて行ったが、帰って来てから、幸子は何か忘れ物をしたようで、今年ばかりは春らしい春に遇《あ》わないで過ぎてしまうような心地がし、又貞之助を促して京都に出かけて、漸《ようや》く御室《おむろ》の厚咲きの花に間に合ったような訳であった。で、常例としては、土曜日の午後から出かけて、南禅寺の瓢亭《ひょうてい》で早めに夜食をしたため、これも毎年欠かしたことのない都踊を見物してから帰りに祇園《ぎおん》の夜桜を見、その晩は麩屋町《ふやちょう》の旅館に泊って、明くる日|嵯峨《さが》から嵐山《あらしやま》へ行き、中の島の掛茶屋あたりで持って来た弁当の折を開き、午後には市中に戻って来て、平安神宮の神苑《しんえん》の花を見る。そして、その時の都合で、悦子と二人の妹たちだけ先に帰って、貞之助と幸子はもう一と晩泊ることもあったが、行事はその日でおしまいになる。彼女たちがいつも平安神宮行きを最後の日に残して置くのは、この神苑の花が洛中《らくちゅう》に於《お》ける最も美しい、最も見事な花であるからで、円山公園の枝垂桜《しだれざくら》が既に年老い、年々に色褪《いろあ》せて行く今日では、まことに此処《ここ》の花を措《お》いて京洛の春を代表するものはないと云ってよい。されば、彼女たちは、毎年二日目の午後、嵯峨方面から戻って来て、まさに春の日の暮れかかろうとする、最も名残の惜しまれる黄昏《たそがれ》の一時《ひととき》を選んで、半日の行楽にやや草臥《くたび》れた足を曳《ひ》きずりながら、この神苑の花の下をさまよう。そして、池の汀《みぎわ》、橋の袂《たもと》、路《みち》の曲り角、廻廊の軒先、等にある殆