」 「そら、手で触《いろ》うたら気味が悪いよってに、―――」 「ふん」 と云ったが、腑《ふ》に落ちないらしい顔つきで、 「そんなら、その訳書いたらええやないの」 「そうかてそんなけったいな恰好したこと、書けますかいな。先生が読まはったら、えらい行儀の悪い姉ちゃんや思やはるがな」 「ふん」 悦子はそれでもまだよく呑《の》み込めないらしかった。 [#5字下げ]九[#「九」は中見出し] 「明日御都合がお悪いのでしたら、十六日は大変日が吉《よ》いのだそうですが、十六日にきめて戴《いただ》く訳には参りませんでしょうか」―――幸子は先日、出しなに電話に掴《つか》まった時にそう云われて、しょうことなしに承知させられてしまったのであるが、「ではまあ行って見てもよい」と云う言葉を、どうにかこうにか雪子の口から引き出す迄《まで》にはそれから二日かかったことであった。それも、井谷が双方をただ何となく招待すると云うかねての約束に従って、努めて見合いのような感じを起させないようにと云う条件附きで、当日時間は午後六時、場所はオリエンタルホテル、出席者は、主人側は井谷と井谷の二番目の弟の、大阪の鉄屋|国分《こくぶ》商店に勤めている村上房次郎夫妻、―――この房次郎が先方の瀬越なる人の旧友であるところから今度の話が持ち上った訳なので、これは是非とも当夜の会合に欠けてはならない顔であった。―――瀬越側は、当人一人と云うのも淋《さび》しいし、と云ってわざわざ国元から近親者を呼び寄せるべき場合ではないので、幸い瀬越の同郷の先輩で、房次郎の勤め先国分商店の常務をしている五十嵐《いがらし》と云う中老の紳士がいたのを、房次郎から頼んで介添役に出て貰《もら》うことにし、此方《こちら》側は貞之助夫妻に雪子の三人で、主客八人と云うことになった。 その前の日、幸子は当日の頭髪《あたま》を拵《こしら》えるために雪子と二人で井谷の美容院へ出かけたが、自分はセットだけのつもりなので、雪子を先にやらせて、番の来るのを待っていると、井谷がちょっと仕事の隙《すき》に這入《はい》って来て、 「あの、―――」 と、小声で云いながら彼女の顔の方へ腰をかがめた。 「―――あの、実は奥さんにお願いがございますの」 井谷はそう云って、耳元へ口を寄せて、 「こんなこと、申し上げないでも無論お分りと存じますけれど