仏蘭西の会社ですけれども、日本人が大部分で、仏蘭西人は重役級に二三人いるぐらいなものなんですから」 「すると、あまり仏蘭西語の会話をなさる機会はおありにならないんですか」 「まあMMの船が這入った時なんかに出かけて行ってしゃべるくらいなものでしょうか。商業用の手紙だけは始終書かされますけれども」 「雪子お嬢さんは、今でもずっと仏蘭西語のお稽古《けいこ》をなすっていらっしゃいますの」 と、井谷が聞いた。 「はあ、………姉が習っているものでございますから、そのお附合に、………」 「先生は誰方《どなた》でいらっしゃいますの、日本人の方? 仏蘭西人の方?」 「仏蘭西人で………」 と、雪子が半分云いかけたあとを幸子が引き取って、 「………日本人の奥さんになっている方ですの」 と、附け加えた。そうでなくても人中《ひとなか》へ出ると一層物が云えなくなる雪子は、こう云う席では「でございます」の東京弁で話すのがギゴチなくて、自然言葉の終りの方が曖昧《あいまい》になるのであるが、そこへ行くと幸子の方は、矢張いくらか云いにくそうに言葉|尻《じり》を胡麻化《ごまか》しはするものの、それでも大阪流のアクセントが余り耳に附かないような技巧を使って、どんなことでも割合に不自然でなく器用にしゃべった。 「その奥さんは日本語が話せるんですか」 と、瀬越がまともに雪子の顔を見ながら云った。 「はあ、初めは話せなかったのでございますけれど、だんだん話せるようになりまして、この頃ではもうえらい上手に………」 「それが却って為めにならないのでございます」 と、幸子が又あとを引き取って、 「―――稽古の間は決して日本語を使わないと云う約束したのでございますけれど、矢張そう行かなくて、つい日本語が出てしまいまして、………」 「僕は稽古を隣の部屋で聞いていることがあるんですが、三人共|殆《ほとん》ど日本語でばかりしゃべってるんですよ」 「あら、そんなことあれへんわ」 と、幸子は思わず大阪弁を出して夫の方へ向き直った。 「仏蘭西語かて使うてますねんけど、あんさんとこまで聞えしませんねん」 「そうらしいですよ[#「らしいですよ」は、『谷崎潤一郎全集 第十九巻』(中央公論新社2015年6月10日初版発行)と『谷崎潤一郎全集 第十五卷』(中央公論社1968年1月25日発行)では「らし