加えた。そうでなくても人中《ひとなか》へ出ると一層物が云えなくなる雪子は、こう云う席では「でございます」の東京弁で話すのがギゴチなくて、自然言葉の終りの方が曖昧《あいまい》になるのであるが、そこへ行くと幸子の方は、矢張いくらか云いにくそうに言葉|尻《じり》を胡麻化《ごまか》しはするものの、それでも大阪流のアクセントが余り耳に附かないような技巧を使って、どんなことでも割合に不自然でなく器用にしゃべった。 「その奥さんは日本語が話せるんですか」 と、瀬越がまともに雪子の顔を見ながら云った。 「はあ、初めは話せなかったのでございますけれど、だんだん話せるようになりまして、この頃ではもうえらい上手に………」 「それが却って為めにならないのでございます」 と、幸子が又あとを引き取って、 「―――稽古の間は決して日本語を使わないと云う約束したのでございますけれど、矢張そう行かなくて、つい日本語が出てしまいまして、………」 「僕は稽古を隣の部屋で聞いていることがあるんですが、三人共|殆《ほとん》ど日本語でばかりしゃべってるんですよ」 「あら、そんなことあれへんわ」 と、幸子は思わず大阪弁を出して夫の方へ向き直った。 「仏蘭西語かて使うてますねんけど、あんさんとこまで聞えしませんねん」 「そうらしいですよ[#「らしいですよ」は、『谷崎潤一郎全集 第十九巻』(中央公論新社2015年6月10日初版発行)と『谷崎潤一郎全集 第十五卷』(中央公論社1968年1月25日発行)では「らしいんですよ」]。たまには仏蘭西語も使うてるらしいんですが、その時はいつも虫の息みたいな小さな声できまり悪そうに云うもんですから、隣の部屋まで聞えて来る筈《はず》がないんです。あれではいくらやったって上達しない訳ですが、どうせ奥さんやお嬢さんの語学の稽古なんて、何処でもあんなものなんでしょうな」 「まあ、えらい云われ方。―――けど、語学の稽古だけやあれしませんね。料理の仕方やら、お菓子の焼き方やら、毛糸の編み方やら、日本語使うてる時かていろいろ教《お》せて貰うてますねん。あんさんこの間あの烏賊《いか》の料理たいそう気に入って、もっと外にも教せて貰え云うてはったやおませんか」 夫婦の云い合いが余興になって皆笑い出したが、 「その、烏賊のお料理と申しますと?」 と云う房次郎夫人の質問から、烏