から断るのはよいが、女の方から断ると云うのは、いくら辞柄を婉曲《えんきょく》にしてみたところで、男に耻を与えることになるのだとすると、もう蒔岡家は今迄にも随分多くの人たちから恨まれているものと思わなければならない。それが又、いつも本家の姉や幸子たちの世間知らずな悠長《ゆうちょう》さから、散々相手を引っ張っておいてギリギリの所へ来て断ると云う遣り方なのでは尚更《なおさら》であるが、貞之助の恐れるのは、そう云うことが積り積ると、蒔岡家が恨まれるだけでなく、そう云う人達の思いからでも、雪子が仕合せになれなくはないか、と云うことであった。で、さしあたり今度の断り役は、幸子が逃げるであろうことは明かなので、貞之助が、いくらかでも自分の失錯を償う意味から、貧乏|鬮《くじ》を引き請《う》けて井谷に会い、何とか諒解《りょうかい》を求めるより仕方がないが、でもどんな風に云ったらよいものか。今となってはもう瀬越にはどう思われても已《や》むを得ないとして、井谷にだけは、これから後のこともあるので、悪い感情を持たれたくない。考えてみると今度のことでは井谷も随分時間や労力を費している訳で、この間じゅう蘆屋の宅や大阪の事務所へ足を運んだ回数だけでも少くはない。美容院の経営には大勢弟子を使っているものの、なかなか繁昌しているらしいのに、その間を抜けてああ云う風に小まめに奔走すると云うのは、確かに噂のように世話好きなのであろうけれども、一通りの親切や侠気《きょうき》では出来ないことで、細かいことを云えば円タクその他の足賃にしても相当遣っているであろう。貞之助は先夜オリエンタルの会の時に、名義は井谷の招待と云うことだけれども、実際の費用は瀬越側と自分達とで分担すべきものと思って、帰りがけにそのことを申し出たのであったが、井谷は、いえ、これは私がお招きしたのですからと云って、何としても応じなかった。しかしどうせこの縁が纏まる迄にはまだ何か彼か橋渡しとして骨を折って貰うであろうし、いずれ引っくるめて礼をする機会があろうと考えて、あの時はそのままにして置いたのであったが、今となってはそれも放って置く訳には行かなかった。 「ほんになあ、お金では受け取ってくれはれへんやろうし、手土産でも持って行かはるより仕様ないけど、―――」 と、幸子は云った。 「今云うてもちょっと思い付かんさかいに、こうしやはったらどう