と、そのお握りが黄色くなるって云うわ」 「そのお握り、考えても汚いわね」 そう云ったのは下妻夫人であった。 「蒔岡さん、お握り入れていらっしゃる?」 「いいえ、あたし、そんな話初耳やわ。蜆汁飲んだらええことは知ってますけど」 「どっちにしてもお金のかからない病気ね」 と、相良夫人が云った。 幸子はこの三人がああ云う進物を持って来たりして、夕飯を呼ばれる心積りでいるらしいことは大凡《おおよ》そ察しがついたけれども、これから夕飯の時刻までまだ二時間ぐらいあると思うと、最初の予想に反して、とてもその間を勤めるのが辛《つら》い気がした。彼女は相良夫人のような型の、気風から、態度から、物云いから、体のこなしから、何から何までパリパリの東京流の奥さんが、どうにも苦手なのであった。彼女も阪神間の奥さん達の間では、いっぱし東京弁が使える組なのであるが、こう云う夫人の前へ出ると、何となく気が引けて、―――と云うよりは、何か東京弁と云うものが浅ましいように感じられて来て、故意に使うのを差控えたくなり、却《かえ》って土地の言葉を出すようにした。それに又、そう云えば丹生夫人までが、いつも幸子とは大阪弁で話す癖に、今日はお附合いのつもりか完全な東京弁を使うので、まるで別の人のようで、打ち解ける気になれないのであった。成る程丹生夫人は、大阪っ児ではあるけれども、女学校が東京であった関係上、東京人との交際が多いので、東京弁が上手なことに不思議はないものの、それでもこんなにまで堂に入っているとは、長い附合いの幸子にしても今日まで知らなかったことで、今日の夫人はいつものおっとりとしたところ[#「おっとりとしたところ」は、『谷崎潤一郎全集 第十九巻』(中央公論新社2015年6月10日初版発行)と『谷崎潤一郎全集 第十五卷』(中央公論社1968年1月25日発行)では「おつとりしたところ」]がまるでなく、眼の使いよう、唇《くちびる》の曲げよう、煙草を吸う時の人差指と中指の持って行きよう、―――東京弁は先《ま》ず表情やしぐさからああしなければ板に着かないのかも知れないが、何だか人柄が俄《にわか》に悪くなったように思えた。 で、いつもなら少し気分のすぐれないくらいは辛抱しても人をそらさない幸子なのだけれども、今日ばかりは三人のしゃべるのを聞いていると苛々《いらいら》して来て、いやだと思うと一層体が