大阪の御本家のこと、御分家のお宅さんのこと、それから御本人のことについては、女学校へも、習字やお茶の先生の所へも、行って尋ねたらしい。それで御家庭の事情は何も彼《か》も知っていて、いつかの新聞の事件なども、あの記事が誤りだと云うことはわざわざ新聞社まで行って調べて来ているくらいなので、よく諒解《りょうかい》していたけれども、なお自分からも、そんなことがあるようなお嬢様かどうかまあお会いになって御覧なさいと云って、納得が行くように説明はしておいた。先方は謙遜《けんそん》して、蒔岡《まきおか》さんと私とでは身分違いでもあり、薄給の身の上で、そう云う結構なお嬢様に来て戴《いただ》けるものとも思えないし、来て戴いても貧乏所帯で苦労をさせるのがお気の毒のようだけれども、万一縁があって結婚出来るならこんな有難いことはないから、話すだけは話してみてほしいと云っている。自分の見たところでは、先方も祖父の代までは或《あ》る北陸の小藩の家老職をしていたとかで、現に家屋敷の一部が郷里に残っていると云うのであるから、家柄の点ではそう不釣合《ふつりあい》でもないのではあるまいか。お宅さんは旧家でおありになるし、大阪で「蒔岡」と云えば一時は聞えていらしったに違いないけれども、―――こう申しては失礼であるが、いつ迄《まで》もそう云う昔のことを考えておいでになっては、結局お嬢様が縁遠くおなりになるばかりだから、大概なところで御辛抱なすったらいかがであろうか。現在では月給も少いけれども、まだ四十一だから昇給の望みもないことはないし、それに日本の会社と違ってわりに時間の余裕があるので、夜学の受持時間の方をもっと殖やして四百円以上の月収にすることは容易だと云っているから、新婚の所帯を持って女中を置いて暮して行くには先《ま》ず差支えあるまい。人物については、自分の二番目の弟が中学時代の同窓で、若い時からよく知っているので、太鼓判を捺《お》すと云っている。そう云ってもお宅さんの手で一往《いちおう》お調べになるに越したことはないけれども、結婚がおくれた原因は全く器量好みのためで外に理由はないと云うのが、矢張ほんとうらしく思える。それは巴里《パリ》にも行っていたのだし、四十を越してもいることだから、まるきり女を知らない筈《はず》はないだろうけれども、自分がこの間会って見た感じでは、それこそ生真面目《きまじめ》なサラ