らぬ土地へ出たがらなかったところから、機会があっても妹達に譲り、自分は好んで留守番役に廻っていたのであった。 そう云う姉が現在住んでいる上本町の家と云うのは、これも純大阪式の、高い塀《へい》の門を潜《くぐ》ると櫺子格子《れんじごうし》の表つきの一構えがあって、玄関の土間から裏口まで通り庭が突き抜けてい、わずかに中前栽《なかせんざい》の鈍い明りがさしている昼も薄暗い室内に、つやつやと拭《ふ》き込んだ栂《とが》の柱が底光りをしていようと云う、古風な作りであった。幸子たちはこの家がいつから其処《そこ》に建てられているのかを知らない。恐らく一二代前の先祖が建てて、別宅や隠居所に使ったり、分家や別家の家族に貸したりしていたらしいのであるが、父の晩年に、それまでは船場の店の奥に住んでいた彼女達が、住宅と店舗とを別にする時代の流行を追って、その家に引き移るようになった。だから彼女達は、自分達が住んだ期間はそう長くはないのだけれども、幼年時代、親戚の者が住んでいた頃にも幾度か出入りをしたことがあるし、父が最期の息を引き取ったのも其処であったしして、その家には特別な追憶を持っている訳であった。で、姉の大阪に対する郷土愛の中には、その家への執着が余程多くを占めているのであろうと幸子は察した。現に姉の昔|気質《かたぎ》を可笑しがる幸子でさえも、電話で突然その話を聞いた時に、何かしらはっと胸を衝《つ》かれる思いがしたのは、もうあの家へも行けなくなるのかと云うことに考え及んだからであった。その癖平生は、あんな非衛生的な日あたりの悪い家はないとか、あんな家に住んでいる姉ちゃん達の気が知れないとか、あたし達は三日もいたら頭が重くなるとか、雪子や妙子達とよくそんな蔭口をきくのであるが、でも大阪の家が全然なくなると云うことは、幸子としても生れ故郷の根拠を失ってしまうのであるから、一種云い難い淋《さび》しい心持がする道理であった。いったい、そう云えば、本家の義兄が先祖代々の家業を止《や》めて銀行員になってしまった時以来、地方の支店へ転任を命ぜられると云う場合も有り得べきことになったのであるから、姉がいつ何時今の家を離れるようなことが起るかも分らなかった訳であるが、迂濶《うかつ》なことには、姉自身も、幸子以下の妹たちも、嘗《かつ》てその可能性に想到したことがなかった。尤も一度、八九年前に福岡の支店へ遣られ