か、あたし達は三日もいたら頭が重くなるとか、雪子や妙子達とよくそんな蔭口をきくのであるが、でも大阪の家が全然なくなると云うことは、幸子としても生れ故郷の根拠を失ってしまうのであるから、一種云い難い淋《さび》しい心持がする道理であった。いったい、そう云えば、本家の義兄が先祖代々の家業を止《や》めて銀行員になってしまった時以来、地方の支店へ転任を命ぜられると云う場合も有り得べきことになったのであるから、姉がいつ何時今の家を離れるようなことが起るかも分らなかった訳であるが、迂濶《うかつ》なことには、姉自身も、幸子以下の妹たちも、嘗《かつ》てその可能性に想到したことがなかった。尤も一度、八九年前に福岡の支店へ遣られそうになったことがあったが、その時は辰雄が、大阪の土地を去りにくい家庭の事情があることを訴え、月給は上らなくとも現在の地位に留っていたいと云う希望を述べて許して貰ったことがあり、銀行の方でも、それからは旧家の婿と云う辰雄の身分柄を考えてくれて、彼だけは転任させられないものと認めているらしい様子だったので、はっきりそう云う諒解《りょうかい》を得たのではなかったけれども、何となく、永久に大阪に定住出来るように思い込んでいたのであった。従って、今度のことは彼女達には青天の霹靂《へきれき》であったが、それは一つには、銀行の重役級に異動があって方針が変ったせいでもあり、一つには、辰雄自身、今度は大阪を離れても地位の昇進を望む気持になっていたせいでもあった。と云うのは、辰雄にしても、同輩の者達がだんだん出世するのに自分だけ呉下の旧阿蒙《きゅうあもう》でいるのは余り腑甲斐《ふがい》なくもあるし、その後子供たちの数も殖えて、生活費が嵩《かさ》んで行く一方、経済界の変動や何かで、養父の遺産と云うものが以前のようには頼りにならなくなって来たからであった。 幸子は、郷土を追われて行くように感じている姉の胸のうちもいとおしく、家にも名残が惜しまれるので、見舞をかねて早速訪ねようと思いながら、差支えが出来て二三日ぐずぐずしていると、姉は又電話をかけて来て、いつ大阪へ帰って来られることか分らないけれども、さしあたりこの家へは「音やん」の家族に留守番かたがた安い家賃で住んで貰うことにした、ついては、八月と云えば間もないことだから荷物の整理もして置かなければと、近頃は毎日土蔵の中で暮しているが、父