雪子は、知らぬ土地へ来て、名古屋側の親戚《しんせき》の、而《しか》も目上の人の家に厄介になっているのでは、どんなにか窮屈なことであろう。そこへ持って来て病人が出来、医者を呼んだりするのでは尚更《なおさら》である。 「その手紙、雪子ちゃんか」 と、貞之助はやっと新聞から眼を離して、珈琲|茶碗《ぢゃわん》に手をかけながら云った。 「何でちょっとも手紙|来《け》えへんのんか思うてたら、えらいことになってるねんわ」 「何やねん、一体」 「まあ、これ、読んで御覧。―――」 と、幸子は三葉の書簡箋《しょかんせん》を夫の方へ向けた。 それから五六日過ぎて、おくれ馳《ば》せながら先日の見送りの礼と、転任の挨拶《あいさつ》とを兼ねた活版刷りの住所変更通知が届いたが、雪子からはそれきり何の便りもなかった。ただ、移転の手伝いや見舞い旁※[#二の字点、1-2-22]《かたがた》土曜日の晩から上京した音やんの忰《せがれ》の庄吉が、月曜の朝帰って来、蘆屋へも東京の様子を話すように云い付けられたからと、その日のうちに訪ねて来た。そして、昨日の日曜に無事引っ越しを済ませたこと、東京の借家普請と云うものは大阪のよりは遥《はる》かに粗末で、殊《こと》に建具が悪く、襖《ふすま》などがとても安手でひどいこと、畳敷[#「畳敷」は、『谷崎潤一郎全集 第十九巻』(中央公論新社2015年6月10日初版発行)では「畳数」、『谷崎潤一郎全集 第十五卷』(中央公論社1968年1月25日発行)では「疊數」]は階下が二畳、四畳半、四畳半、六畳、二階が八畳、四畳半、三畳だけれども、江戸間《えどま》であるから八畳が京間の六畳、六畳が京間の四畳半にしか使えないこと、そう云う訳で甚《はなは》だみすぼらしい住居だけれども、取柄を云えば、新建ちであるから感じが明るく、南向きで日あたりがよく、上本町の薄暗い家から見れば衛生的であること、自分の家に庭はなくても隣近所に立派な邸宅や庭園が多く、閑静で上品な土地柄であること、それでいて道玄坂まで出れば繁華な商店街があり、映画館なども幾軒かあるので、子供達は何事も物珍しいと見え、却《かえ》って東京へ来たことを喜んでいるらしいこと、秀雄も全快して今週から附近の小学校へ通う筈《はず》であること、等々を語った。 「雪子ちゃんはどないしてます」 「元気にしてはりましたで。秀|坊《ぼん》がお