例になくおしゃべりをした。その様子には、口に出してこそ云わないけれども、半歳ぶりに関西の土地へ戻ることが出来たうれしさ、―――蘆屋の家の応接間に、こうして幸子や妙子たちと夜を更《ふ》かしていられる嬉《うれ》しさを、包みきれないものがあった。貞之助は、 「もうそろそろ寝ようやないか」 と云いながらも話が弾《はず》むので、又立って行って何本目かの薪をくべた。 「そのうちに一遍、あたしも東京へ連れて行って貰おう思うてるけど、渋谷の家はえらい狭いのんやてなあ。一体いつ宿変えするのん」 「さあ、―――何も家《いえ》捜《さが》してるような様子ないけど」 「そんなら、せえへんつもりやろか」 「そうやないやろか。去年はこんなに狭かったらどうもならん云うて、宿変えするする云うてたけど、今年になったら、あんまりそんなこと云わんようになってしもてん。何や、兄さんも姉ちゃんも考が変ったらしいねんわ」 雪子はそう云って、意外なことを語り出した。―――これは自分の観察であって、姉ちゃん達夫婦の口からはっきりそうと聞かされた訳ではないのだけれども、もともと、夫婦があれほど離れるのを嫌《いや》がっていた大阪の土地を離れて、東京へ出る決心をした動機は、兄さんが出世慾を起したこと、―――そして又、その出世慾を起すに至った原因はと云えば、親子八人もの家族を抱えて亡父の遺産では食べて行けなくなったと云う、少し大袈裟《おおげさ》に云えば生活難を感じ出したことにあるのだから、東京へ来た当座こそ、家の狭さを喞《かこ》っていたものの、だんだん住み着いてみるにつれて、これでも辛抱出来なくはない、と云う気持になって来たのではあるまいか。それには何よりも、五十五円と云う家賃に誘惑されたのであろう。兄さんも姉ちゃんも、何しろこんな家だけれども家賃も安過ぎると、誰に言訳するともなく云い云いしていたが、そんなことを云っているうちに、いつかその安さに釣《つ》られて居すわる料簡《りょうけん》になったのであろう。それと云うのが、大阪にいればこそ家名や格式を気にする理由もあるけれども、東京へ来てしまえば「蒔岡《まきおか》」などと云ったって知っている者はないのだから、下らない見えを張るよりは、少しでも財産を殖やすように心がけた方がよい、と云った風な実利主義に転向したとしても不思議はない。その証拠には、兄さんは今度支店長になっ