す顔がないと云って辞職願を出した程であった。尤《もっと》もその方は「それには及ばぬ」と云うことで無事に済んだが、雪子が受けた災難の方は何としても償いようがなかった。たまたま幾人かの人は、正誤の記事に気が付いて彼女の冤罪を知ったでもあろうが、彼女は潔白であったにしても、そう云う妹娘のある事実が知れ渡ったことは、姉娘を、その自負心にも拘《かかわ》らず、いよいよ縁遠くする原因になった。ただ、雪子自身は内心は兎《と》に角《かく》、表面は「それくらいなことで傷つきはしない」と云う建前でいたので、そんな事件のために妙子と感情が齟齬《そご》する結果にはならず、却《かえ》って義兄に対して妙子を庇《かば》うと云う風であった。そして、この二人は、上本町《うえほんまち》九丁目の本家から、阪急|蘆屋《あしや》川の分家、―――幸子の家の方へ、前からも始終、一人が帰れば一人が来ると云う風にして、代る代る泊りに来ていたのが、この事件を切掛《きっか》けにして段々|頻繁《ひんぱん》になり、二人が一緒にやって来て半月も泊り続けることがあるようになった。それと云うのが、幸子の夫の貞之助《ていのすけ》は、計理士をしていて毎日大阪の事務所へ通い、外に養父から分けて貰《もら》った多少の資産で補いをつけつつ暮しているのであったが、厳格一方の本家の兄と違って、商大出に似合わず文学趣味があり、和歌などを作ると云う風であったし、本家の兄のような監督権を持たなかったし、いろいろの点で雪子たちには、そう恐くない人なのであった。ただ余り雪子達の滞在が長くなると、本家へ気がねして「一遍帰ってもろたら」と幸子に注意することはあったが、幸子は毎度、そのことなら姉ちゃんが諒解《りょうかい》していてくれるから、心配しやはらんでもよい、今では本家も子供が殖えて家が手狭になったことだし、時々妹達が留守にした方が姉ちゃんも息抜きが出来るであろう、まあ当分は当人達の好きなようにさせておいても別条はないと云い云いして、いつかそう云う状態が普通になっていたのであった。 そんな工合にして数年たつうちに、雪子の身の上には格別の変化も起らなかったが、妙子の境遇に思いがけない発展があったので、結局に於いてそれが雪子の運命にも或る関《かか》わりを持つに至った。―――と云うのは、妙子は女学校時代から人形を作るのが上手で、暇があるとよく小裂《こぎれ》を切り刻ん