。(そう云えば井谷は、或る方面からお嬢さんのことを問い合わせて来ましたので差支えない限り話してやりましたと、いつぞや幸子に云っていたことがあった。それにつけても、幸子は雪子の例のシミが、今度帰って来てからは全く影を消しているので、今日は安心していたのであるが、まさか井谷がそんなこと迄しゃべったであろうとは思えないながらも、この時ちょっとヒヤリとした)貞之助は専《もっぱ》ら自分が引き受けて応対の任に当っているうちに、野村と云う人がひどく神経質であることが分って来、なるほどこれなら独語《ひとりごと》を云う奇癖があるとしても不思議でないような気がして来た。それにさっきからの様子を見ていると、野村には全然此方の腹の中が分らないで、もうこの縁は纏《まと》まるものと思い込んでいるところから、そんな工合に、細かなことを立ち入って尋ねるのであるらしく、トーアホテルで会った時の取り付きにくい印象とは別人のように活気づいて、ますます上機嫌になっていた。 貞之助達の正直な気持は、好い加減にこの会合を切り上げて一刻も早く帰宅したいことであったが、帰り際《ぎわ》になって又一つ当惑したことが起った。と云うのは、大阪へ帰る陣場夫婦が自動車で貞之助達を蘆屋まで送って行き、そこから自分達は阪急に乗ると云うことであったが、自動車が参りましたと云うので、出て見ると、一台しか来ていない。そして、野村さんのお宅は青谷で、同じ方向ですから、いくらか廻りになりますけれども乗せて行って上げて下さい、と云うのであった。貞之助は、新国道を一直線に帰るのと、青谷を廻って帰るのとでは、距離にしても大分相違があるばかりではない、青谷方面は路も悪く、勾配《こうばい》も多いことであるから、動揺が激しいのは知れているので、重ね重ね思いやりがなさ過ぎるのに又しても忿懣《ふんまん》を覚えながら、車がぐいと曲る毎に妻がどんな顔をしているかとヒヤヒヤしたが、男三人が前列に席を占めたので、そのつどうしろを振り向く訳にも行かなかった。と、青谷の近くへ来た時に、野村が突然、如何です、珈琲《コーヒー》を一杯さし上げたいから皆さんでお立ち寄り下さいませんか、と云い出した。そのすすめ方が実に熱心で、此方が再三辞退したぐらいでは聴き入れず、むさくろしい家ですけれども見晴らしのよいことは北京楼以上です、座敷に坐りながら港が一と目に見えるところが自慢なんで