れる反応を窺《うかが》ったが、雪子は別段のこともなく物静かに聞いてしまってから、順序が違うと云うだけの理由で延ばすのなら、そんな気がねをせず、先に二人を一緒にしたらよいと思う、私は後になったところで打撃を受けもせず、希望も捨てはしない、自分は自分で幸福な日が廻って来るような予感があるから、―――と、それが皮肉でも負け惜しみでもなく取れるように云った。 しかし当人はどう思っているにしても、姉妹の順で行かなければならないことだし、妙子の方はもう極まっているようなものだとすると、なおさら雪子の縁談を急ぐ必要があった。が、ざっと以上のような事情が彼女の婚期を後《おく》らせた原因になった外に、もう一つ雪子を不仕合せにしたのは、彼女が未《ひつじ》年の生れであることであった。一般に丙午《ひのえうま》をこそ嫌《きら》うけれども未年の生れを嫌う迷信は、関東あたりにはないことなので、東京の人達は奇異に感じるであろうが、関西では、未年の女は運が悪い、縁遠いなどと云い、殊《こと》に町人の女房には忌《い》んだ方がよいとされているらしく、「未年の女は門《かど》に立つな」と云う諺《ことわざ》まであって、町人の多い大阪では昔から嫌う風があるので、ほんに雪子ちゃんの縁遠いのもそのせいかも知れないなどと、本家の姉は云い云いした。それやこれやで、だんだん兄や姉たちもそうむずかしい条件を出しては無理だと云うことが分って来、此方は初婚なのだから先方も同様でなければと云っていたのが、二度目の人でも子供さえなければと云い出し、次いで子供も二人までならと云い出し、年も二番目の義兄貞之助より一つや二つ上であっても外見が老《ふ》けてさえいなければ、と云うところまで折れて来るようになった。雪子は義兄達や姉達の意見が一致した時なら、何処《どこ》へでも云われるままに縁づくと云ってい、それらの条件にも不服を唱えはしなかったけれども、ただ、子供がある場合にはなるたけその子供が可愛いい顔だちの女の児であってほしい、そうすれば自分が本当に可愛がることが出来るような気がするから、と云い、四十何歳と云う年の人を夫に持つのだとすれば、もうその人の立身の限度も大凡《おおよ》そ見えていて、さきざき収入が殖える当ても少いことだし、此方が未亡人になる可能性も多いことだから、大した財産は要《い》らないにしても、老後の生活を保証するだけの用意のあるこ