東雅楼と云うのは南京町《ナンキンまち》にある、表の店で牛豚肉の切売もしている広東《カントン》料理の一|膳《ぜん》めし屋なのであったが、四人が奥へ這入って行くと、 「今晩は」 と、登録器の所に立って勘定を払っていた若い西洋人の女が云った。 「ああ、カタリナさん、ええとこで会うた。紹介しょう、―――」 と妙子は云って、 「この人やわ、こないだ話《はな》した露西亜《ロシア》の人。―――これ、わたしの姉さん。―――これ、次の姉さん。―――」 「ああ、そう、わたしカタリナ・キリレンコ。―――わたし、今日展覧会見に行きました。妙子さんの人形皆売れましたね。オメデトございます」 「あの西洋人誰? こいちゃん」 と、その女が出て行ってしまうと悦子が云った。 「あの人、こいさんのお弟子やねんて」 と、幸子が云って、 「ほんに、あの人やったら電車の中でよう見る顔やわ」 「ちょっと可愛い顔してるやろ」 「あの西洋人、支那料理好きやのん」 「あの人|上海《シャンハイ》で育ったのんで、支那料理のことえらい通やねんわ。支那料理やったら普通の西洋人の行かんような汚い家ほどおいしい云うて、神戸では此処《ここ》が一番や云うねん」 「露西亜人か、あの人?―――何や露西亜人らしい感じせえへんけど」 と雪子が云った。 「ふん、上海で英吉利《イギリス》の学校へ行ってて、英吉利の病院の看護婦になって、それから一度英吉利人と結婚したことがあるのやて。あれでも子供があるねんで」 「へえ、幾つやろ」 「さあ、幾つやろ。うちより上やろか下やろか」 妙子の話だと、この白系露人キリレンコの一家は夙川の松濤《しょうとう》アパートの近所の、上下で四間ぐらいしかない小さな文化住宅に、老母と、兄と、このカタリナと、三人暮しをしていて、カタリナだけは前から道で行き遇《あ》うと目礼するくらいな仲になっていたのが、或る日突然妙子を仕事部屋に訪ねて来て、自分も人形―――殊《こと》に日本風の人形の製作方を習いたいから、弟子にしてくれと申し入れた。妙子がそれを承諾すると、すぐその場から妙子のことを「先生さん」と呼び出したので、妙子は面喰《めんくら》って「妙子さん」と呼ぶことに改めて貰った。―――と云うのが今から一と月程前のことで、それから妙子は急に彼女と親しくなり、近頃ではアパートへの往き復《かえ》りに、