なのは老母の日本語で、これには妙子も少からず悩まされること。――― 「そのお婆《ばあ》ちゃんの日本語云うたらなあ、この間もうちに『あなたキノドクでごぜえます』云うねんけど、発音がけったいで早口やさかい、『あなたクニドコでごぜえます』と聞えるねんわ。そんで、うち、『わたし大阪です』云うてしもてん」 妙子は人の癖を取るのが上手で、誰の真似《まね》でも直《す》ぐにして見せて皆を笑わせることが得意なのであるが、その「キリレンコのお婆ちゃん」の身振や口真似が余り可笑《おか》しいので、幸子たちはまだ会ったこともない西洋のお婆さんを想像して腹を抱えた。 「けど、そのお婆ちゃん、帝政時代の露西亜の法学士で、偉いお婆ちゃんらしいねんわ。『わたし日本語下手ごぜえます、仏蘭西《フランス》語|独逸《ドイツ》語話します』云うてはるわ」 「昔はお金持やってんやろな。幾つぐらいやのん、そのお婆ちゃん」 「さあ、もう六十幾つやろか。けどまだちょっとも耄碌《もうろく》してはれへん。とても元気やわ」 それから二三日過ぎて、妙子は又その「お婆ちゃん」の逸話を持って帰って来て、姉たちを面白がらせた。妙子はその日、神戸の元町へ買い物に出た帰りにユーハイムでお茶を飲んでいると、そこへ「お婆ちゃん」がカタリナを連れて這入って来た。そして、これから新開地の聚楽《しゅうらく》館の屋上にあるスケート場へ行くのだと云って、あなたもお暇なら是非いらっしゃいと頻《しき》りに誘った。妙子はスケートは経験がなかったが、私達が教えて上げます、直きに覚えられますと云うし、そう云う運動競技には自信があるので、兎《と》も角《かく》も一緒に行ってみた。と、一時間ばかり稽古するうちに、大体コツを呑《の》み込むことが出来、「あなた大変上手ごぜえます、わたし、あなた始めて信じませんごぜえます」と、ひどく褒《ほ》めて貰ったが、それより妙子がびっくりしたのは、何とその「お婆ちゃん」がスケート場に立つや否《いな》や、颯爽《さっそう》として壮者を凌《しの》ぐ勢で滑り始めた。さすがに昔取った杵柄《きねづか》で、腰がしゃんと極まって、少しの危なげもないばかりでなく、時々、あっと思うような離れ技を演ずる。これには場内の日本人たちが皆|呆気《あっけ》に取られた。と云うのであった。 その後妙子は又或る時、 「今日カタリナのとこで晩の御飯よばれて来て