ところにしゃがんだ。二階から見おろしているので、猫に頬《ほお》ずりをするたびに襟頸《えりくび》の俯向《うつむ》くのが見えるだけで、どんな顔つきをしているものとも分らないのであるが、でも幸子には、今雪子のお腹の中にある思いがどう云うことであるのか、明かに読めるのであった。恐らく雪子は、いずれ東京へ呼び戻される日も遠くないのだと云う予感を抱いて、この庭の春にそれとなく名残を惜しんでいるのであろう。そして出来るなら、あのライラックや小手毬の花がもう直ぐ咲き揃《そろ》うのを見届けるまでは滞在していられますようにと、祈っているのであろう。尤《もっと》も東京の姉からは、まだいつ帰れとも云って来ている訳ではないが、彼女が内心、今日は云って来るか、明日は云って来るかとビクビクしながら、一日でも多くの時を此方で過したいと願っている様子は、余所眼《よそめ》にもよく分っていた。幸子はこの内気な妹が、見かけに依らず出好きなことを知っているので、自分が出歩けるようになったら、映画やお茶の附合いぐらいは毎日でもしてやるのだがと思っていたのであるが、雪子はそれを待ち切れないで、この間から天気の好い日には妙子を誘って神戸へ出かけて行き、何と云うことなしに元町あたりをぶらついて帰って来ないと、気が済まないらしかった。そして、いつでも、松濤《しょうとう》アパートの妙子を電話へ呼び出して、落ち合う先を打ち合せてから、いそいそと出かけて行くのがさも楽しそうで、縁談のことなど全く念頭にないようであった。 雪子に始終引っ張り出される妙子は、時々幸子の枕もとへ来て、近頃仕事が忙しいのに、午後の一番大切な時刻にこう頻繁《ひんぱん》に附合いをさせられるのは叶わない、と云った風な不平を遠廻しに洩《も》らしたが、或る時やって来て、 「昨日おかしなことがあってんわ」 と、次のような話をした。――― 昨日の夕方、雪姉《きあん》ちゃんと元町を歩いて、スズランの店先で西洋菓子を買っていると、雪姉ちゃんが俄《にわか》に慌《あわ》て出して、「どうしょう、こいさん、―――来たはるねんわ」と云うのであった。「来たはるて、誰が来たはるねん」と聞いても、「来たはるねんが、来たはるねんが」と、ソワソワしているだけなので、何のことやら分らずにいると、奥の喫茶室で珈琲を飲んでいた一人の見馴《みな》れない老紳士が、その時つかつかと雪姉ちゃんの