も》を解きかけていたが、ふと思いついて、 「そやった、あたし『B足らん』やねん。こいさん下へ行って、注射器消毒するように云うといてんか」 脚気《かっけ》は阪神地方の風土病であるとも云うから、そんなせいかも知れないけれども、此処《ここ》の家では主人夫婦を始め、ことし小学校の一年生である悦子までが、毎年夏から秋へかけて脚気に罹《かか》り罹りするので、ヴィタミンBの注射をするのが癖になってしまって、近頃《ちかごろ》では医者へ行く迄《まで》もなく、強力ベタキシンの注射薬を備えて置いて、家族が互に、何でもないようなことにも直《す》ぐ注射し合った。そして、少し体の調子が悪いと、ヴィタミンB欠乏のせいにしたが、誰が云い出したのかそのことを「B足らん」と名づけていた。 ピアノの音が止《や》んだと見て、妙子は写真を抽出に戻して、階段の降り口まで出て行ったが、降りずにそこから階下を覗《のぞ》いて、 「ちょっと、誰か」 と、声高《こわだか》に呼んだ。 「―――御寮人《ごりょうん》さん注射しやはるで。―――注射器消毒しといてや」 [#5字下げ]二[#「二」は中見出し] 井谷と云うのは、神戸のオリエンタルホテルの近くの、幸子たちが行きつけの美容院の女主人なのであるが、縁談の世話をするのが好きと聞いていたので、幸子はかねてから雪子のことを頼み込んで、写真を渡しておいたところ、先日セットに行った時に、「ちょっと奥さん、お茶に附き合って下さいませんか」と手の空《あ》いた隙《すき》に幸子を誘い出して、ホテルのロビーで始めてこの話をしたのである。実はこちらへ御相談をしないで悪かったけれども、ぐずぐずしていて良い縁を逃がしてはと思ったので、お預かりしてあったお嬢様のお写真を何ともつかず先方へ見せたのが、一箇月半程も前のことになる。それきり暫《しばら》く音沙汰《おとさた》がなかったので、自分は忘れかけていたのであったが、先方ではその間にお宅さんのことを調べた模様で、大阪の御本家のこと、御分家のお宅さんのこと、それから御本人のことについては、女学校へも、習字やお茶の先生の所へも、行って尋ねたらしい。それで御家庭の事情は何も彼《か》も知っていて、いつかの新聞の事件なども、あの記事が誤りだと云うことはわざわざ新聞社まで行って調べて来ているくらいなので、よく諒解《りょうかい》していたけれども、