番円顔で目鼻立がはっきりしてい、体もそれに釣《つ》り合って堅太りの、かっちりした肉づきをしているのが妙子で、雪子はまたその反対に一番細面の、なよなよとした痩形《やせがた》であったが、その両方の長所を取って一つにしたようなのが幸子であった。服装も、妙子は大概洋服を着、雪子はいつも和服を着たが、幸子は夏の間は主に洋服、その他は和服と云う風であった。そして似ていると云う点から云えば、幸子と妙子とは父親似なので、大体同じ型の、ぱっと明るい容貌《ようぼう》の持ち主で、雪子だけが一人違っていたが、そう云う雪子も、見たところ淋《さび》しい顔立でいながら、不思議に着物などは花やかな友禅|縮緬《ちりめん》の、御殿女中式のものが似合って、東京風の渋い縞物《しまもの》などはまるきり似合わないたちであった。 いつも音楽会と云えば着飾って行くのに、分けても今日は個人の邸宅に招待されて行くのであるから、精一杯めかしていたことは云うまでもないが、折柄の快晴の秋の日に、その三人が揃《そろ》って自動車からこぼれ出て阪急のフォームを駈け上るところを、居合す人々は皆振り返って眼を欹《そばだ》てた。日曜の午後のことなので、神戸行の電車の中はガランとしていたが、姉妹の順に三人が並んで席に就いた時、雪子は自分の真向うに腰かけている中学生が、含羞《はにか》みながら俯向《うつむ》いた途端に、見る見る顔を真《ま》っ赧《か》にして燃えるように上気して行くのに心づいた。 [#5字下げ]八[#「八」は中見出し] 悦子はままごとにも飽きてしまうと、お花に云いつけて二階の部屋から帳面を持って来させて、洋間で宿題の綴方《つづりかた》を書いていた。 いったいこの家は大部分が日本間で、洋間と云うのは、食堂と応接間と二た間つづきになった部屋があるだけであったが、家族は自分達が団欒《まどい》をするのにも、来客に接するのにも洋間を使い、一日の大部分をそこで過すようにしていた。それに応接間の方には、ピアノやラジオ蓄音器があり、冬は煖炉《だんろ》に薪《まき》を燃やすようにしてあったので、寒い時分になると一層皆が其方《そちら》にばかり集ってしまい、自然そこが一番|賑《にぎや》かであるところから、悦子も、階下に来客が立て込む時とか、病気で臥《ね》る時とかの外は、夜でなければめったに二階の自分の部屋へは上って行かないで、洋間で暮した。