安心していえるのです、あなたは私のような者を笑ってすててしまうほど鷹揚《おうよう》にうまれついた人ですとそういったのでござりました。そうしたらお遊さんは父のことばをだまってきいておりましてぽたりと一としずくの涙をおとしましたけれどもすぐ晴れやかな顔をあげてそれもそうだとおもいますからあんさんのいう通りにしましょうといいましたきりべつに悪びれた様子もなければわざとらしい言訳《いいわけ》などもいたしませなんだ。父はそのときほどお遊さんが大きく品《ひん》よくみえたことはなかったと申すのでござります。  そんなしだいでお遊さんはまもなく伏見へさいえんいたしましたが宮津の主人と申しますのはなかなかよくあそぶ男だったそうにござりましてもともと物好きでもらった嫁でござりましたからじきに飽きてしまいましてのちにはめったにお遊さんの別荘へよりつかなんだと申すことでござります。しかしそれでもあの女は床《とこ》の間《ま》の置き物のようにしてかざっておくにかぎるといいまして金にあかしたくらしをさせておきましたのでお遊さんは相変らず『田舎源氏《いなかげんじ》』の絵にあるような世界のなかにいたわけでござりますが大阪の小曾部の家とわたくしの父の家とはその時分からだんだんびろくいたしまして前にも申しましたように母が亡くなります前後にはわたくしどもはろうじのおくの長屋にすむようなおちぶれかたをしておりました。さようさよう、その母と申しますのはおしずのことでござりましてわたくしはおしずの生んだ子なのでござります。父はお遊さんとそんなふうにして別れましてからながいあいだの苦労をおもいまたその人の妹だというところにいいしれぬあわれをもよおしましておしずとちぎりをむすびましたのでござります。と、そういってそのおとこはしゃべりくたびれたように言葉をとぎって腰のあいだから煙草入れを出したので、いやおもしろいはなしをきかせていただいてありがとうぞんじます、それであなたが少年のころお父上につれられて巨椋《おぐら》の池の別荘のまえをさまよってあるかれたわけは合点《がてん》がゆきました、ですがあなたはそののちも毎年あそこへ月見に行かれると仰っしゃったようでしたね、げんに今夜も行く途中だといわれたようにおぼえていますがというと、さようでござります、今夜もこれから出かけるところでござります、いまでも十五夜の晩にその別荘のうら