ょっとするとこの洲は大江《たいこう》の中に孤立している島ではなくてここで桂川《かつらがわ》が淀の本流に合している剣先なのではないか。なんにしても木津、宇治、加茂、桂の諸川がこのあたりで一つになり、山城、近江《おうみ》、河内《かわち》、伊賀、丹波等、五カ国の水がここに集まっているのである。むかしの『澱川《よどがわ》両岸一覧』という絵本に、これより少し上流に狐の渡しという渡船場があったことを記して渡《わたり》の長サ百十|間《けん》と書いているからここはそれよりもっと川幅がひろいかも知れない。そして今いう洲は川のまん中にあるのではなくずっとこちら岸に近いところにある。河原の砂利に腰をおろして待っているとはるかな向うぎしに灯のちらちらしている橋本の町から船がその洲へ漕《こ》ぎ寄せる、と、客は船を乗り捨てて、洲を横ぎって、こちら側の船の着いている汀《みぎわ》まで歩いて来る。思えば久しく渡しぶねというものに乗ったことはなかったが子供の時分におぼえのある山谷《さんや》、竹屋、二子《ふたこ》、矢口《やぐち》などの渡しにくらべてもここのは洲を挟《はさ》んでいるだけに一層優長なおもむきがあっていまどき京と大阪のあいだにこんな古風な交通機関の残っていたことが意外でもあり、とんだ拾いものをしたような気がするのであった。  前に挙げた淀川両岸の絵本に出ている橋本の図を見ると月が男山のうしろの空にかかっていてをとこやま峰さしのぼる月かげにあらはれわたるよどの川舟という景樹《かげき》の歌と、新月やいつをむかしの男山という其角《きかく》の句とが添えてある。わたしの乗った船が洲に漕ぎ寄せたとき男山はあだかもその絵にあるようにまんまるな月を背中にして鬱蒼《うっそう》とした木々の繁《しげ》みがびろうどのようなつやを含み、まだ何処やらに夕ばえの色が残っている中空《なかぞら》に暗く濃く黒ずみわたっていた。わたしは、さあこちらの船へ乗って下さいと洲のもう一方の岸で船頭が招いているのを、いや、いずれあとで乗せてもらうがしばらく此処で川風に吹かれて行きたいからとそういい捨てると露にしめった雑草の中を蹈《ふ》みしだきながらひとりでその洲の剣先の方へ歩いて行って蘆《あし》の生《は》えている汀《みぎわ》のあたりにうずくまった。まことに此処は中流に船を浮かべたのも同じで月下によこたわる両岸のながめをほしいままにすることが出