だろう。われ/\が女人に殺されなかったのは、よほど運が好かったのだ。」 「だが、」 と、千手丸は相手の言葉を遮って云った。 「そなたは唯識論の、其の先の方にある文句を知っているか。女人地獄使《にょにんじごくし》、永断佛種子《ようだんぶちしゅし》、外面似菩薩《げめんじぼさち》、内心如夜叉《ないしんにょやしゃ》、―――こう書いてある所を見ると、たとい心は夜叉のようでも、面《おもて》は美しいに相違ない。その證拠には、この間都から参詣に来た商人《あきうど》が、うっとりと麿の顔を眺めて、女子《おなご》のように愛らしい稚児だと独り語を云うたぞや。」 「まろも先達《せんだち》の方々《かた/″\》から、そなたはまるで女子《おなご》のようだと、たび/\からかわれた覚えがある。まろの姿が悪魔に似て居るのかと思うと、恐ろしくなって泣き出した事さえあるが、何も泣くには及ばない、そなたの顔が菩薩のように美しいと云うことだと、慰めてくれた人があった。まろは未だに、褒められたのやら誹られたのやら分らずに居る。」 こうして話し合えば話し合うほど、ます/\女人の正体は、二人の理解を越えてしまうのであった。 大師結界の霊場とは云いながら、此の山の中にも毒ある蛇や逞しい獣は棲んで居る。春になれば鶯が啼いて花が綻び、冬になれば草木が枯れて雪が降るのは、浮世と少しも変りがない。只異なって居るのは女人と云う者が一人も居ない事だけである。それほど佛に嫌われて居る女人が、どうして菩薩に似て居るのだろう。それほど容貌の美しい女人が、どうして大蛇よりも恐ろしいのだろう。 「浮世が幻であるとしたら、女人もきっと美しい幻なのだ。幻なればこそ、凡夫は其れに迷わされるのだ。ちょうど深山《みやま》を行く旅人が、狭霧《さぎり》の中に迷うように。」 いろ/\考え抜いた末に、二人は斯う云う判断に到達した。美しい幻、美しい虚無、―――それが女人と云うものであると、否でも応でも決めてしまわなければ、二人の理性はどうしても満足を得られなかった。 年下の瑠璃光丸の好奇心は、恰も幼児がお伽噺《とぎばなし》の楽園を慕うような、淡い気紛れなものであったが、年上の千手丸の胸に蟠《わだかま》って居るものは、好奇心と云う言葉では表わせないほどに強かった。夜な/\彼と向い合って、すや/\と熟睡する瑠璃光丸の無心な寝顔を眺めては、自分ばかりが