ちは悉く「三地両所の冥罰を蒙った」とあるから、これに依って一山の危機は救われた訳である。すると覚海上人が天狗になったのは既に在世中からであって、時々魔界へ飛行したのであろうか。金剛三昧院の毘張房も同じく天狗であるが、これは元来天狗であったものが人間に化けて寺に住み込んでいたので、上人の場合はこれと反対である。      ○ 上人が死後に於いて魔界に生れたことは、或いは魔界に生れるという信念を以て死んだことは確かと見ていい。此の間の事情に就いては、少しく長くなるけれども覚海伝の一節を仮名交り文に書き改めて大方諸賢の一粲に供しよう。 [#ここから1字下げ] 有ル時師自ラ誓ヒ懇ロニ祷ツテ曰ク、吾既ニ産ヲ鄙北ニ受ケ、遮那ノ法ヲ南山(註、南山は高野のこと、比叡山の北嶺に対していう。)ニ習ヒ、現今山頭ニ在ツテ務職ニ任ズ、奇縁不可思不可測ナリ、唯願ハクハ三世ノ勃駄《ぶつだ》十界ノ索多《さつた》及ビ吾ガ大師、吾ニ我ガ前生ヲ示告セヨ、イカナレバ此クノ如ク得難キノ人身ヲ得、遇ヒ難キノ密法ニ逢ヒタル乎ト、五体ヲ地ニ擲チ、目ニ血涙ヲ流シ、身ノ所在ヲ忘レ、誠ヲ盡シテ命根尚絶エントスルニ至ル。時ニ大師※[#「火/(火+火)+欠」、第4水準2-15-90]爾トシテ真影ヲ現ズ。和柔類ヒ稀ニシテ容顔霊威、和雅ノ梵音ヲ挙ゲテ幽声ヲ耳ニ徹セシム。汝ハ始メ是レ摂州ノ南海ニ産シ、形ヲ小蛤ニ現ジテ蚌※[#「羸」の「羊」に代えて「虫」、第4水準2-87-91]ノ海族ト与ニ波ニ漂ヒ、砂石ニ交糅シテ四海ニ流ルルコト千歳。唄音風ニ順ツテ碧波ニ入ルニ逢ヒ、蛤聞熏ノ力ニ因ツテ海浪ニ激揚セラレテ自ラ天王寺ノ西ノ浜畔ニ着キタルトキ、童僕戯レニ抛ツテ天王寺堂前ノ床ニ置キタルニ、(註、大阪の天王寺が昔いかに海に近かったかということが、此の記事に依って想像される。)誦経読呪ノ声ヲ聴クニ因ツテ第二生ニ牛身ヲ受ク。重キヲ負ウテ遠キニ至リ、牧童鞭ヲ加ヘ、蚊蚋肉ヲ齧ミタレドモ、餘縁尚朽チズシテ一日大乗般若ヲ書スルノ料紙ヲ荷ヒ負フガ故ニ、転生シテ第三生ニ赭馬ノ肉身ヲ受ク。唯縁熏発シテ幸ヒニ信輩ノ熊野ニ詣ルモノヲ乗セタルガ為メニ、更ニ転生シテ第四生ニハ柴燈ヲ燃ヤスノ人身トナルコトヲ得タリ。常ニ火光ヲ以テ道路ヲ照ラスガ故ニ智度ノ浄業漸々ニ熏増シテ、第五生ニハ吾ガ廟前密法修法ノ承仕給者トナル。晨天ニ閼伽ヲ汲ンデ運ビ、昏暮ニ浄花ヲ採ツテ