門ノ棟梁南山検校ノ鴻職ヲ感受シタリ。[#傍点]第七生ニハ必ズ秘密法ヲ護ルノ威猛依身ヲ受ケ[#傍点終わり]、[#傍点]身体ニ羽翼ヲ生ジテ飛行自在ニ[#傍点終わり]、[#傍点]修鼻突出シテ彎笋ノ如ク[#傍点終わり]、[#傍点]遍身赤黒ニシテ毛髪銅針ニ類セン[#傍点終わり]。是レ乃チ吾ガ末弟※[#「りっしんべん+喬」、第3水準1-84-61]慢放逸ニシテ酒色ニ耽リ、佛法王法ヲ軽ンジテ佗ノ財宝ヲ貪リ、汚穢不浄ノ身ヲ以テ伽藍ニ渉登シ、高歌狂乱シテ信者ノ機嫌ヲ毀チ、引イテ吾ガ密法ヲ壊リ、猥リニ狂族ヲ夥シクスルガ故ニ、此クノ如キノ異容ニ非ザレバ争デカ治罰賞正ノ誘進ヲナサンヤ。魔佛一如、生佛不二、修羅即遮那ハ、汝常ニ是レ臆念スル所也。言ヒ訖ツテ麗々タル遺韻山谷ニ伝ハリ、馥々タル異香野外ニ熏ジ、感涙胆ニ銘ジテ身心※[#「さんずい+氓のへん」、U+6C52、220-5]昧ナリ焉。故ニ世人称シテ南山ノ碩学七生ヲ悟ルノ人ト云フ矣。 [#ここで字下げ終わり] 此れに類似の本生譚は今昔物語等にも多く見受けられるけれども、天王寺海浜の蛤と云い、熊野参詣の馬と云い、いかにも高野の上人の前生にふさわしい。即ち上人は大師のお告げに依って自分の来世を豫知していたのである。しかし豫知していたが故に南勝房法語の如き信仰を建立したのか、此の信仰の故に天狗に生れるべく運命づけられたか。何れが因で、何れが果か。伝に依れば後者のように思われる。      ○ 上人の廟は山中の遍照ヶ岡にあるが、一説には華王院境内の池辺に葬ったとも云い、その他も現に増福院の庭中に存している。覚海伝の賛の終りに曰く、「遍照岡崛ノ枯枝落葉毫釐モ之ヲ採ルトキハ厳祟ヲ施ス、其ノ威其ノ霊信ズ可ク懼ル可シ、其ノ悉地ヲ成ズル上カ中カ下カ、都ベテ即身ノ佛カ、嗚呼奇ナル哉遊戯三昧」と。 底本:「聞書抄」中公文庫、中央公論新社    1984(昭和59)年7月10日初版発行    2005(平成17)年9月25日改版発行 底本の親本:「谷崎潤一郎全集 第十三巻」中央公論社    1982(昭和57)年5月25日 初出:「古東多万」    1931(昭和6)年9月号 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 ※底本は新字新仮名づかいです。旧仮名によると思われる部