て、這々《ほう/\》の体《てい》でプラットフォームから改札口へ歩いて行く自分の姿の哀れさみじめさ。戸外へ出れば、おかしい程即座に動悸が静まって、不安の影が一枚一枚と剥がされて了う。 私の此の病気は、勿論汽車へ乗って居る時ばかりとは限らない。電車、自動車、劇場―――凡て、物に驚き易くなった神経を脅迫するに足る刺戟の強い運動、色彩、雑沓に遭遇すれば、いついかなる処でも突発するのを常とした。しかし、電車だの劇場だのは、恐ろしくなると直《すぐ》に戸外へ逃げ出す事が出来るだけ、それだけ汽車程自分を Madness の境界《きょうがい》へ導きはしなかった。 其の病気が、いつの間にか自分の体へブリ返して居る事を心付いたのは、六月の初め、京都の街の電車に揺られた時であった。私は当分、汽車へ乗る事を絶対に断念して、病気の自然に治癒する迄、東京へは帰れないとあきらめて了った。そうして、是非共此の夏中に受けなければならない徴兵検査《ちょうへいけんさ》を、何処か京都の近在で、汽車へ乗らないでも済む所で受けたいものだと思った。 調べて見ると生憎《あいにく》京都の近所はみんな時期が遅れて間に合わなかったが、大阪の住友銀行の友人O君の盡力で、阪神電車の沿道にある一漁村へ、検査の二三日前迄に籍を移せば、其処で受けられる事になった。其の村の検査日は何でも六月の中旬であったと覚えて居る。 兵庫県下なら、汽車へ乗らずとも電車で行けるから、東京の原籍地へ戻るよりはいくらか増《ま》しだと私は喜んだ。で、丁度月の十二日の午《ひる》ごろ、日本橋の区役所から取り寄せた戸籍謄本と実印とを懐《ふところ》にして、五条の停車場へ行った。 真夏らしい日光がきらきらと、乾燥した、埃《ほこり》の多い京都の街の地面に反射し、晴れた空が毒々しく油切って、濃い藍色を湛えて居る日であった。俥へ乗って停車場へ赴《おもむ》く途中、お召の単衣《ひとえ》に絽《ろ》の羽織を重ねて居る私は、髪の毛の長く伸びた揉み上げの辺から、べっとり[#「べっとり」に傍点]した血のような汗が頬を流れ落ちて、襟の周囲へにじみ込むのを覚えた。五条の橋から遥に愛宕山《あたごやま》を望むと、恰も熔鉱炉の底から煽り上る熱気に似た陽炎《かげろう》が麓に打ち煙って、遠くの野や林はもやもやと霞に曇り、近い町々の甍《いらか》や石垣や加茂川の水は、正視するに忍びない程、クッキ