うように響いた。[#横組み]“If any one should ask you, say I've gone to America!”[#横組み終わり]こう叫んで、言下に右の蟀谷《こめかみ》へピストルをあてゝ自殺をした『罪と罰』の中の Svidrigailoff のように、「私は大阪へ行くんだから。」と云って、忽ち眼を舞わして此の場へ悶絶したら、あの車夫はどんなに吃驚《びっくり》するだろう。 時計を見ると彼れこれ一時である。村役場の引けるのは三時か四時か知らぬが、どうしても今日中に手続きを済まして置かなければ、検査を受ける訳に行かない。折角友人に奔走して貰った親切を無にしなければならない。私はふと一策を案じ出して近所の洋酒屋からスコッチ、ウイスキーのポケット入りの壜を購《か》った。そうして、ベンチへ凭《もた》れながら、其れをグビリ、グビリと飲み始めた。 酒の力で神経を一時麻痺させれば、大概の恐怖は取り除かれると云う事を、私は此れ迄の自己の経験に依って、迷信的に信じて居た。一番ぐでん、ぐでんに酔拂《よっぱら》った揚句、前後不覚になって電車へ乗り込んだら、どうにかした拍子に気が紛れて大阪まで無事に行けるだろうと思ったのである。 不自然な、強制的なアルコールの酔《えい》が次第次第に肥え太った私の肉体へ浸潤して来た。じっと大人しく腰掛けて居ながら、気違いじみた酩酊が立派に魂を腐らせて行き、官能を痺《しび》れさせて行くのが、自分でもよく判るように感ぜられた。私はいつかとろん[#「とろん」に傍点]とした、慵《ものう》げな眼を見張って、賑かな、明るい往来の、種々雑多な音響と光線の動揺を凝視して居た。 五条橋の袂を、西東から行き交う人々の顔が、みんな汗にうじゃじゃけ[#「うじゃじゃけ」に傍点]て、赤く火照《ほて》って、飴細工の如く溶けて壊《くず》れ出しそうに見えた。絽縮緬《ろちりめん》や、明石《あかし》や、いろいろの羅衣《うすもの》にいたわられ[#「いたわられ」に傍点]て居る若い美しい女達のむくむくした肉が、一様にやるせない暑さを訴えて、豚の体のようにふやけ[#「ふやけ」に傍点]て居るのを見た。汗………夥《おびたゞ》しい人間の汗が、蒸し蒸しゝた空気の中へ絶えず発散して其処辺《そこいら》一面に漂い、到る所の壁だの板だのにべとべと[#「べとべと」に傍点]とこびり着いて居るらしかっ