その時分にひょっこり[#「ひょっこり」に傍点]あの人が訪《たず》ねて来たら、否《いや》でも応でも物いわんならんようなハメになるよって、それが何より気がかりやったんですけど、なんぼ厚かましいいうてもさすがよう寄り附かんかして、ええあんばいにあんなり何もいうて来《け》えしません。私は心のうちに神様や仏様祈って、結局運命がそんな工合《ぐあい》になったのんを有難いことや思いました。ほんまに、あの晩のような出来事でもなかったら、なかなかこない綺麗さっぱりと切れるいう訳に行けしませんのに、これも神様の思召《おぼしめし》やろ、口惜しいことも悲しいことも済んでしもたことはみんな夢とあきらめよと、ようよう幾分か落ち着いて来ましたのんは、あれから半月も立った六月の下旬ごろのことで、――去年の夏は空入梅《からつゆ》でしたよって、毎日々々日照りがつづいて、家の前の海岸に泳ぎに来る人がちょいちょい見えました。夫はいつも暇ですのんに、その時分珍しい頼まれた事件あって、もうちょっとしたら手エ抜けるさかい、そしたら何処ぞ避暑になと行こいうたりしてましたが、或る日私が台所で桜ん坊のジェリー拵《こしら》えてる時でした、「大阪のSK病院から奥様《おくさん》に電話だす」いいますのんで、虫が知らしたのんか、何やけったいに思いながら、「誰ぞ入院してんねやろ、も一ぺん聴いてみなはれ」いいますと、「いえ違います、病院が直接奥様に話したいいうたはります、男の人の声みたいだす」いうことで、「ふん、おかしいなあ」いうて電話口い出る時から、何でか知らん胸騒ぎして受話器を持つ手エ妙に顫《ふる》てるのんです。彼方《あっち》では「あんたは奥様ですか」と二へんも三べんも念押してから俄《にわ》かに低い声になって、「突然|甚《はなは》だ失礼ですが、あんたさんは英語の避妊法の本を中川さんの奥様にお貸しになったことありますか」とけったい[#「けったい」に傍点]なこと尋《た》ンねます。「はあ、その本は私たしかに或る人に貸しましたけど、中川さんの奥様いう方はよう知りません。多分私から借った人が又貸《またがし》したんやろ思います。」そないいうと直ぐ、「はあ、はあ」と向《むこ》ではうなずいて、「奥様がお貸しになったのは徳光光子さんでしょうな?」いうのんです。私実はもう最前《さいぜん》から予期してたもんの、その名アいわれた瞬間に何や電気みたいなものが