はずっとその車で天王寺い行きます。主人はそういう風にして一緒に出かけますこと楽しみにしてたらしいのんで、「またもう一遍《いっぺん》学生時代に復《かい》ったような気イするなあ」などいいますから、「夫婦づれで自動車で通う学生あったらおかしいやないか」いいましたら、あはあは笑うたりなんぞして上機嫌《じょうきげん》でした。午後に帰ります時分にもなるべく誘《さそ》てくれるようにいいますのんで、電話で打ち合わせしといて、事務所い寄ったり、難波《なんば》や阪神で待ち合わしたりして、一緒に松竹座なぞい行ったりしました。そういうような塩梅《あんばい》で主人との間は大変|工合《ぐあい》ように行ってましたのんですが、あれは四月の半ば頃でしたか、わたしほん[#「ほん」に傍点]の詰まらん事で学校の校長さんと喧嘩《けんか》してしまいました。それはあのう、妙なことですが、学校でモデル使《つこ》て、それにいろいろの服装さしたりポーズ取らしたりしまして、――日本画の方は裸体のデッサンはやりませんですけど、――それ写生する時間ありますねん。ところがちょうどその時分に使《つこ》てたのんが、Y子さんちゅう十九になる娘さんで、大阪では有名な美人のモデルやそうで、それに楊柳観音《ようりゅうかんのん》の姿さしまして、――まあ、いくらかそんな風すると裸体に近うなりますのんで、多少裸体の研究も出来るいう訳やったのんです。私それを外の生徒たちと一緒に写生してますと、或る日校長先生が教室い這入《はい》って来られて、「柿内《かきうち》さん、あんたの絵エはちょっともモデルに似ておらんようですな、あんたは誰ぞ、外にモデルあるのんではありませんか」いわれて、何やこう、意味ありげに笑われますねん。それが校長先生ばっかりでのうて外の生徒たちも、先生が笑われるあとからクスクス忍び笑いするのんです。わたし思わずはっ[#「はっ」に傍点]としまして顔|赧《あこ》うなりましてんけど、どういう訳で赧うなったのんかその時は自分で分れしませなんだ。今になって考えますと確かにあの時赧うになったような気イしますねんけど、あるいはそうでなかったかも分れしません。しかし「外にモデルがある」いわれましたら、そういわれるまでは自分では意識してえしませなんだのんに、何やしらんはっ[#「はっ」に傍点]と胸いこたえるもんありましてん。でも、そんなら誰モデルにしたかちゅ