出遇《であ》いますと、出来るだけあやまる心持外に現わすようにして、小《ちい》そうになって、下向いて、こそこそ逃げるように傍《そば》通り抜けましたが、そないしながらも、先様《さきさん》怒《おこ》ってはれへんやろか、どんな眼つきしてはるか、やっぱり気がかりやもんですから、擦《す》れちがう拍子にそう[#「そう」に傍点]ッと顔色うかごうたりしました。ところが光子さんの様子前とちょっとも変ったようなとこのうて、別にこっちを不愉快に思てなさる風にも見えしません。あ、そうそう、此処《ここ》に写真持って来ましたよって、これ見て下さいませ。これは揃《そろ》いの着物出来ましたとき二人で記念に撮《と》りましたのんで、新聞にも出たことある問題の写真やのんです。これでもお分りになるように、こうして並んでましたら、わたしが引き立て役勤めてる形で、光子さんは船場あたりの娘さんの中でもちょっと飛びきりの器量やのんです。[#1段階小さな文字](作者註、写真を見ると、お揃いの着物というのは如何《いか》にも上方《かみがた》好みのケバケバしい色彩のものらしい。柿内未亡人は束髪《そくはつ》、光子は島田《しまだ》に結っているが、大阪風の町娘の姿のうちにも、その眼が非常に情熱的で、潤《うる》おいに富んでいる。一と口にいえば、恋愛の天才家といったような気魄《きはく》に充《み》ちた、魅力のある眼つきである。たしかに美貌《びぼう》の持主には違いなく、自分は引き立て役だという未亡人の言は必ずしも謙遜《けんそん》ではないが、この点が果して楊柳観音の尊容に適するかどうかは疑問である。)[#小さな文字終わり]先生はこんな顔だちどないお考えになりますか? 日本髪よう似合うてますやろ?――はあ、お母様《かあさん》日本髪好きやとかいうことで、ときどき結《い》やはりまして、学校いもその頭で来やはりましてん。――何せそんな学校ですから、制服なんぞあれしませんし、日本髪の着流しでも何でもかめしませんのんですから、わたしなんか袴《はかま》穿《は》いて行《い》たことあれしませなんだ。光子さんも、たまに洋服着なさることありましてんけど、和服の時はいつでも着流しでしてん。この写真では髪のせえで私より三つぐらい若うに見えてますけど、ほんまは一つ歳《とし》下の二十三、――生きておられたら今年二十四ですねん。しかし光子さんの方が一、二寸せえ高いでしたし、