かろ》うじて四つに結ばれていた。その小さい堅い結び目を解くのに彼女の指頭は紅《くれない》を潮《ちょう》し、そこを抓《つね》っているように見えた。やがて中から取り出された手紙の数々は、まるで千代紙のあらゆる種類がこぼれ出たかのようであった。なぜならそれらは悉《ことごと》くなまめかしい極彩色の模様のある、木版刷りの封筒に入れられているのである。封筒の型は四つ折りにした婦人用のレターペーパーがやっと這入《はい》るほどに小さく、その表面に四度刷りもしくは五度刷りの竹久夢二《たけひさゆめじ》風の美人画、月見草、すずらん、チューリップなどの模様が置かれてある。作者はこれを見て少からず驚かされた。けだしこういうケバケバしい封筒の趣味は決して東京の女にはない。たといそれが恋文であっても、東京の女はもっとさっぱりしたのを使う。彼女たちにこんなのを見せたら、なんてイヤ味ッたらしいんだろうと、一言の下に軽蔑《けいべつ》されること請《う》け合いである。男も彼の恋人からこういう封筒の文を貰《もら》ったら、彼が東京人である限り、一朝にしてあいそを尽かしてしまうであろう。とにかくその毒々しいあくどい趣味は、さすがに大阪の女である。そうしてそれが相愛し合う女同士の間に交《かわ》されたものであるのを思う時、尚更《なおさら》あくどさが感ぜられる。ここにその手紙のうちからこの物語の真相を知るのに参考になるものだけを引用するが、ついでにそれらの模様についても、一つ一つ紹介するであろう。思うにそれらの意匠の方が時としては手紙の内容よりも、二人の恋の背景として一層の価値があるからである。――)[#小さな文字終わり] (五月六日、柿内夫人園子より光子へ。封筒の寸法は縦《たて》四寸、横二寸三分、鴇《とき》色地に桜ン坊とハート型の模様がある。桜ン坊はすべてで五|顆《か》、黒い茎に真紅《まっか》な実が附いているもの。ハート型は十箇で、二箇ずつ重なっている。上の方のは薄紫、下の方のは金色、封筒の天地にも金色のギザギザで輪郭が取ってある。レターペーパーは一面に極《ご》くうすい緑で蔦《つた》の葉が刷ってある上に銀の点線で罫《けい》が引いてある。夫人の筆蹟《ひっせき》はペン字であるが、字の略しかたにゴマカシがないのを見れば相当に習字の稽古《けいこ》を積んだものに違いなく、女学校では能筆の方だったであろう。小野鵞堂《おのがどう》