に治まつてゐたのだつたが、その時分から母親のおりんは嫁が面白くないと云つて、始終今津の兄の所、庄造には伯父に当る中島の家へ泊まりに行つて、二日も三日も帰つて来ないやうになつた。あまり逗留《とうりゅう》が長いので、品子が様子を見に行くと、お前は帰つて庄造を迎ひに寄越せと云ふ。庄造が行くと、伯父や福子までが一緒になつて引き止めて、晩になつても帰してくれない。それには何か魂胆《こんたん》があるらしいことは、庄造もうす/\気が付いてゐながら、甲子園の野球だの、海水浴だの、阪神パークだのと、福子に誘はれるまゝに、何処へでもふら/\と喰つ着いて行つて、呑気《のんき》に遊んでゐるうちに、とう/\彼女と妙な仲になつてしまつた。 此の伯父と云ふのは菓子の製造販売をしてゐて、今津の町に小さな工場を持つてゐたばかりでなく、国道沿線に五六軒の家作《かさく》を建てたりして裕福に暮らしてゐたのだつたが、福子のことでは大分今迄に手を焼いてゐた。母親が早く亡くなつたせゐもあるのだらうが、女学校を二年の途中で止めさせられたか、勝手に止めてしまつたかしてから、さつぱり尻が落ち着かない。家出をしたことも二度ぐらゐあつて、神戸の新聞に素ツ葉抜かれたりしたものだから、縁付けようと思つても中々貰ひ手がなかつたし、自分も窮屈な家庭などへは行きたくない。そんなこんなで、何とか早く身を固めさせなければと、父親が焦《あせ》つてゐる事情に眼を付けたのがおりんであつた。福子は自分の娘のやうなもので、気心はよく分つてゐるから、アラがあることは差支へない、品行の悪いのは困るけれども、もうそろ/\分別が出てもいゝ歳だから、亭主を持つたらまさか浮気をすることもあるまい、それにそんなことは大した問題でないと云ふのは、此の娘にはあの国道の家作が二軒附いてゐて、そこから上る家賃が六十三円になる。おりんの計算だと、父親がそれを福子の名義に直したのが二年も前のことであるから、その積立が元金だけでも一千五百十二円ある、それだけのものは持参金として持つて来る上に、月々今の六十三円が這入るとすると、それらを銀行へ預けておいたら、十年もすれば一と財産出来るので、これが何よりの附けめであつた。 尤も彼女は老い先の短かい体であるから慾張つたところで仕方がないが、甲斐性《かいしょう》のない庄造が此の先どうして凌《しの》いで行くつもりか、それを考へると安