迄が、さうすれば娘の身が固まるし、甥《おい》の一家を救つてもやれるし、双方のためだと考へたのが、おりんの工作に油を注ぐ結果となつた。 それ故福子が庄造と出来てしまつたのには、父親やおりんの取り持ちがあつたに違ひないのであるが、一体そんなことがなくとも、庄造は割りに誰にでも好かれるたちであつた。別に美男子なのではないが、幾つになつても子供つぽいところがあつて、気だてが優しいせゐかも知れない。キャディーの時代にはゴルフ場へ来る紳士や夫人たちに可愛がられて、盆暮《ぼんくれ》の附け届を誰よりも余計貰つたし、カフェエなどでも案外持てるので、僅かなお金で長く遊んで来ることを覚えてしまひ、そんなところからのらくら[#「のらくら」に傍点]の癖がついたのだつた。が、何にしてもおりんから云へば、自分がいろ/\細工をしてやつと我が家へ迎へ入れる迄に漕ぎ付けた、持参金附きの嫁御寮《よめごりょう》であるから、尻の軽い彼女に逃げられないやうに、忰と二人で精々機嫌を取らなければならない訳で、猫のことなどは勿論始めから問題でなかつた。いや、実を云ふと、おりんも内々猫には閉口してゐたのであつた。元来リヽーと云ふ猫は、神戸の洋食屋に住み込んでゐた庄造が帰つて来る時に連れて来たのだが、これがゐるために家の中が汚れること夥《おびただ》しい。庄造に云はせると、此の猫は決して粗※[#「勹<夕」、第3水準1-14-76]《そそう》をしない、用をする時は必ずフンシへ這入ると云ふ。いかにもその点は感心だけれど、戸外にゐてもわざ/\フンシへ這入るために戻つて来ると云ふ調子なので、フンシが非常に臭くなつて、その悪臭が家中に充満するのである。おまけに臀の端《はた》へ砂を着けたまゝ歩き廻るので、畳がいつもザラ/\になる。雨の日などは臭が一層強く籠《こも》つてむツとするところへ持つて来て、おもてのぬかるみを歩いたまゝで上つて来るから、猫の脚あとが此処彼処に点々とする。庄造は又、此の猫は戸でも襖でも障子でも、引き戸でさへあれば人間と同じに開ける、こんな賢いのは珍しいと云ふ。だが畜生の浅ましさには、開けるばかりで締めることを知らないから、寒い時分には通つたあとを一々締めて廻らなければならない。それもいゝけれども、そのために障子は穴だらけ、襖や板戸は爪の痕だらけになる。それから困るのは、生物《なまもの》、煮物、焼物の類をうつかりその