晩ぐらゐではあるまい、もう幾晩も/\、恐らくは数日前に八百屋の家を逃げ出して、方々で道に迷ひながら、やう/\此処まで来たのであらう。彼女が人家つゞきの街道を一直線に来たのでないことは、あのすゝきの穂を見ても分る。それにしても、猫は寒がりなものであるのに、朝夕の風はどんなに身に沁みたことであらう。おまけに今は村しぐれの多い季節でもあるから、定めし雨に打たれて叢《くさむら》へもぐり込んだり、犬に追はれて田圃の中へ隠れたりして、食ふや食はずの道中をつゞけて来たのだ。さう思ふと、早く抱き上げて撫でゝやりたくて、何度も窓から手を出したが、そのうちにリヽーの方も、羞渋みながらだん/\体を擦り着けて来て、主人の為《な》すが儘に任せた。 その時のリヽーは、一週間ほど前から尼ヶ崎の方で姿を見なくなつてゐたことが、後に問ひ合はせて知れたのであつたが、今も庄造は、あの朝の啼きごゑと顔つきとを忘れることが出来ないのである。そればかりでなく、此の猫についてはまだ此の外にも数々の逸話があつて、あの時はあんな顔をした、あんな声を出したと云ふ記憶が、いろ/\の場合に残つてゐるのである。たとへば庄造は、初めて此の猫を神戸から連れて来た日のことをはつきりと思ひ出すのであるが、それは最後に奉公をしてゐた神港軒から暇を貰つて蘆屋へ帰つた時であるから、彼がちやうど二十歳の年、つまり父親が亡くなつた年の、四十九日の頃だつた。その前彼は、三毛猫を一度、それが死んでからは「クロ」と呼んでゐた真つ黒な雄猫を、コツク場で飼つてゐたのであるが、そこへ出入の肉屋から、欧洲種の可愛らしいのがゐるからと云つて、生後三ヶ月ばかりになる雌の仔猫を貰つたのが、リヽーだつたのである。それで暇を貰ふ時にもクロはコツク場へ置いて来てしまつたが、仔猫の方は手放すのが惜しくて、行李と一緒に或る商店のリヤカーの隅へ積んで貰つて、蘆屋の家へ運んだのであつた。 肉屋の主人の話だと、英吉利人はかう云ふ毛並みの猫のことを鼈甲猫《べっこうねこ》と云ふさうであるが、茶色の全身に鮮明な黒の斑点が行き亙つてゐて、つや/\と光つてゐるところは、成る程研いた鼈甲の表面に似てゐる。何にしても庄造は、今日までこんな毛並みの立派な、愛らしい猫を飼つたことがなかつた。ぜんたい欧洲種の猫は、肩の線が日本猫のやうに怒《いか》つてゐないので、撫で肩の美人を見るやうな、すつきり