の袖を顔に押しあてゝお泣きになりました。道場の内に一杯になっている聴衆が、貴賤、上下、道俗、男女の分ちなく、袂を絞らない者はありませんでした。これを聞いたり、見たりしまして、その場で髻を切って刀と一所に御前へ差出して、早速御弟子になる者もあります。そうかと思うと、又此方では一人の女性《にょしょう》が笠の下から髪を切って、上人に参らせて発心をする者もあります。その外われも/\と遁世をする人の数はどのくらいあったことでしょうか。その時の私の胸の中はたゞもう察していたゞくより外はありませぬ。折角こゝまで来たものですから御説法をも聴聞したいのは山々でしたが、こうしていては今に絆《きずな》に繋がれる、これはあぶないところだと、はっと気がつきますと眼をつぶって心を鬼にして、合戦の場《にわ》に千騎萬騎の中へ斬り入り一命を捨てるのもこんなではないかと思いながら、急いでそこを立ち去った其の折の覚悟の程と申すものは、六年前に始めて篠崎を出ましたよりももっと一生懸命でした。それからはる/″\と逃げて来まして、とある木の下に休みながら考えましたのは、座禅をしても悟を開くのはなか/\むずかしい、所詮高野山は弘法大師の入定なされた所だし、諸佛群集の霊地だから、あの御山に勝る所は此の世にあるまい、これはあの御山へ上るに限る、そして奥の院のほとりにでも柴の庵を結んで一大事の修行をしようと、そう思案を定めまして、その心をたよりに此の御山へ参りましたが、そのゝちは更に他念がなく、我をも知らず、人をも知らず、まして故郷《ふるさと》の事をも知らず、寝ても覚めても念佛三まいに月日を送っていましたので、あなたがたにお目にかゝるのも今日が始めてのような訳なのです。そう云えば今年の春のころ、河内の国から此の御山へ参った人がうわさをするのを聞きましたら、子供たちの身の上を楠が知って不便《ふびん》に思い、あの時六つになっていました男の子を取り立てゝ、篠崎の跡を継がせるそうです。姉の方は比丘尼になったと申しますから、これも心安うございます。 ―――二人の僧は此の話を聞いて、まことに有難い御発心です、殊勝に存じますと云って貰い泣きをしたが、互に法名を名のり合って見ると、今の僧は玄梅と云い、樊※[#「口+會」、第3水準1-15-25]入道はげん松と云い、荒五郎入道はげん竹と云うのである。そこで三人は一同に手を打って云った、こ