なことの出来る人間かどうか、様子でもお分りでございましょう、と云うのであった。 上人が重ねて、いや、お前のことは今では皆が知っている、愚僧もかね/″\心のうちではお前を貴くも有難くも思っていたのであるから、隠さずに云ってくれるがよい、と云うと、左様ならば申しますが、と云って、実は何事も深くは存じませぬけれども、少しばかり心得ていることがございます、と云う。定めし験《げん》があるであろうな、試《ため》しに此の粥を観じて見せよ、と云うと、男は折敷《おしき》を取って粥の上に蓋《ふた》をして、暫時《ざんじ》眼を閉じて観念を凝らしていたが、やがて蓋を開けると、粥が悉《こと/″\》く白い虫に化していた。それを見た上人はさめ/″\と泣いて、必ず我を導き給えと、男に向って掌《たなごゝろ》を合わせた。 ―――以上が、「あやしの僧の宮づかひのひまに不浄観をこらす事」の説話であって、「閑居の友」の著者は此のあとに、「いとありがたく侍《はべ》りける事にこそ」と云って、説明を加えて云うのに、愚かな者でも、塚のほとりに行って乱れ腐った死人のむくろを見れば観念が成就《じょうじゅ》し易《やす》いと云うことは、天台大師も次第禅門《しだいぜんもん》と云う文に説いておられるくらいであるから、此の中間僧もそれを学んだのであろう。摩訶止観《まかしかん》の中には、観のことを説いて、「山河も皆不浄也、くひものきもの又不浄也、飯は白き虫の如し、衣は臭き物の皮の如し」と云ってあるが、かの中間僧の観念のいみじさは、自然と聖教の文に合致しているのである。又|天竺《てんじく》の佛教|比丘《びく》も、器物《うつわもの》は髑髏《どくろ》の如し、飯は虫の如し、衣は蛇《くちなわ》の皮の如しと説き、唐土の道宣《どうせん》律師も、器《うつわ》はこれ人の骨也、飯はこれ人の肉也と説いておられるのであるが、かような人々の説き給うことなどを知る筈のない無学の僧が、その教を実行していたと云うのは、何とも頼もしい限りである。人はたとい此の中間僧のような境地には至り得ない迄も、そう云う道理が分り出して来たら、五慾の思いがだん/\に薄らいで、心の持ち方が改まるであろう。―――「此のことわりを知らぬもの、こまやかなる味はひには貪慾《どんよく》の心も深く起り、おろそかなる味はひ落ちぶれたる衣には瞋恚《しんい》の思ひ浅からず、よしあしは変れども、輪廻《り