春琴抄 谷崎潤一郎 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)鵙屋琴《もずやこと》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)大阪|道修町《どしょうまち》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数) (例)※[#「てへん+毟」、第4水準2-78-12] -------------------------------------------------------      ○ 春琴、ほんとうの名は鵙屋琴《もずやこと》、大阪|道修町《どしょうまち》の薬種商の生れで歿年《ぼつねん》は明治十九年十月十四日、墓は市内下寺町の浄土宗《じょうどしゅう》の某寺《ぼうじ》にある。せんだって通りかかりにお墓参りをする気になり立《た》ち寄《よ》って案内を乞《こ》うと「鵙屋さんの墓所はこちらでございます」といって寺男が本堂のうしろの方へ連れて行った。見るとひと叢《むら》の椿《つばき》の木かげに鵙屋家代々の墓が数基ならんでいるのであったが琴女の墓らしいものはそのあたりには見あたらなかった。むかし鵙屋家の娘《むすめ》にしかじかの人があったはずですがその人のはというとしばらく考えていて「それならあれにありますのがそれかも分りませぬ」と東側の急な坂路になっている段々の上へ連れて行く。知っての通り下寺町の東側のうしろには生国魂《いくたま》神社のある高台が聳《そび》えているので今いう急な坂路は寺の境内《けいだい》からその高台へつづく斜面《しゃめん》なのであるが、そこは大阪にはちょっと珍《めずら》しい樹木の繁《しげ》った場所であって琴女の墓はその斜面の中腹を平らにしたささやかな空地《あきち》に建っていた。光誉春琴恵照禅定尼、と、墓石の表面