とや云わん不幸とや云わんと呟《つぶや》きしとかや。また早くより読み書きの道を学ぶに上達すこぶる速《すみや》かにして二人の兄をさえ凌駕《りょうが》したりき」と。これらの記事が春琴を視《み》ること神のごとくであったらしい検校から出たものとすればどれほど信を置いてよいか分らないけれども彼女の生れつきの容貌《ようぼう》が「端麗にして高雅」であったことはいろいろな事実から立証される。当時は婦人の身長が一体に低かったようであるが彼女《かのじょ》も身の丈《たけ》が五尺に充《み》たず顔や手足の道具が非常に小作りで繊細《せんさい》を極めていたという。今日伝わっている春琴女が三十七歳の時の写真というものを見るのに、輪郭《りんかく》の整った瓜実顔《うりざねがお》に、一つ一つ可愛《かわい》い指で摘《つ》まみ上げたような小柄《こがら》な今にも消えてなくなりそうな柔《やわら》かな目鼻がついている。何分《なにぶん》にも明治初年か慶応《けいおう》頃の撮影《さつえい》であるからところどころに星が出たりして遠い昔の記憶《きおく》のごとくうすれているのでそのためにそう見えるのでもあろうが、その朦朧《もうろう》とした写真では大阪の富裕《ふゆう》な町家の婦人らしい気品を認められる以外に、うつくしいけれどもこれという個性の閃《ひら》めきがなく印象の稀薄《きはく》な感じがする。年|恰好《かっこう》も三十七歳といえばそうも見えまた二十七八歳のようにも見えなくはない。この時の春琴女はすでに両眼の明《めい》を失ってから二十有余年の後であるけれども盲目《もうもく》というよりは眼をつぶっているという風に見える。かつて佐藤春夫が云ったことに聾者《ろうしゃ》は愚人《ぐじん》のように見え盲人《もうじん》は賢者《けんじゃ》のように見えるという説があった。なぜならつんぼは人の云うことを聴《き》こうとして眉《まゆ》をしかめ眼や口を開け首を傾《かたむ》けたり仰向《あおむ》けたりするので何となく間《ま》の抜《ぬ》けたところがあるしかるに盲人はしずかに端坐《たんざ》して首をうつ向け、瞑目沈思《めいもくちんし》するかのごとき様子をするからいかにも考え深そうに見えるというのであって果して一般に当て篏《は》まるかどうか分らないがそれは一つには仏菩薩《ぶつぼさつ》の眼、慈眼視衆生《じげんししゅじょう》という慈眼なるものは半眼に閉じた眼であるからそれを