た褒《ほ》められたことの方が多かった、私が行くとお師匠さんは必ずご自分で稽古をつけて下されそれはそれは親切に優しく教えて下さるのでお師匠さんを怖《こわ》がる人たちの気が知れなんだということでござります、でござりますから修行の苦しみというものを知らずにあれまでにおなりなされたのは天品だったのでござりましょうと。けだし春琴は鵙屋のお嬢《じょう》様であるからいかに厳格な師匠でも芸人の児を仕込むような烈《はげ》しい待遇《たいぐう》をする訳に行かない幾分か手心を加えたのであろうその間にはまた、千金の家に生れながら不幸にして盲目となった可憐《かれん》な少女を庇護《ひご》する感情もあったろうけれども何よりも師の検校は彼女の才を愛し、それに惚《ほ》れ込《こ》んだのであった。彼は我が児以上に春琴の身を案じたまたま微恙《びよう》で欠席する等のことがあれば直ちに使《つかい》を道修町に走らせあるいは自ら杖《つえ》を曳《ひ》いて見舞《みま》った。常に春琴を弟子に持っていることを誇《ほこ》りとして人に吹聴《ふいちょう》し玄人《くろうと》筋の門弟たちが大勢集まっている所でお前達は鵙屋のこいさんの芸を手本とせよ〔注、大阪では「お嬢さん」のことを「糸《いと》さん」あるいは「とうさん」といい姉娘に対して妹娘を「小糸《こいと》さん」あるいは「こいさん」などと呼び分けること現在もしかり。春松検校は春琴の姉にも手ほどきをしたことあり家庭的に親しかったので春琴をかく呼んだのであろう〕今に腕《うで》一本で食べて行かなければならない者が素人《しろうと》のこいさんに及ばないようでは心細いぞといった。また春琴をいたわり過ぎるという批難《ひなん》があった時何をいうぞ師たる者が稽古をつけるには厳しくするこそ親切なのじゃわしがあの児を叱らぬのはそれだけ親切が足らぬのじゃあの児は天性芸道に明るく悟《さと》りが速いから捨てて置いても進む所までは進む本気で叩《たた》き込《こ》んだらばいよいよ後生《こうせい》畏《おそ》ろしい者になり本職の弟子共が困るであろう、何も結構な家に生れて世過《よす》ぎに不自由のない娘をそれほどに教え込まずとも鈍根《どんこん》の者をこそ一人前に仕立ててやろうと力瘤《ちからこぶ》を入れているのに、何という心得違いをいうぞといった      ○ 春松検校の家は靱《うつぼ》にあって道修町の鵙屋の店からは十