た瀬戸内《せとうち》の島へ渡ったばかりで、なんだか馬鹿にはるばると来たような心地がする。実を云うと、出がけに老人が誘った折には彼はそんなに気が進んではいなかった。何しろ老人の計画と云うのは、お久を連れて淡路の三十三箇所を順礼しようと云うのであるから、又してもアテられることであろうし、折角の老人の楽しみを邪魔するでもなし、遠慮した方がいいと思ったのに、「なに、そんな気がねには及ばない、私たちは洲本《すもと》に一日二日泊まって、人形芝居の元祖である淡路|浄瑠璃《じょうるり》を見物する。それから順礼のいでたち[#「いでたち」に傍点]になって霊場廻りをするのだから、せめて洲本まで附き合いなさい」と、老人もすすめればお久も口を添えたので、この間の文楽座の印象もあり、その淡路浄瑠璃につい好奇心が動いたのであった。「まあ、酔興ね、それじゃあなたも順礼の支度をなすったらどう」と、美佐子は眉《まゆ》をひそめたが、可憐《かれん》なお久が伊賀越の芝居のお谷のようないじらしい姿になるさまを想うと、それと一緒に御詠歌をうたって鈴を振りながら旅をしようという老人の道楽が、ちょっと羨ましくないこともなかった。聞けば大阪の通人なぞのあいだでは、好きな芸者を道連れに仕立てて、毎年淡路の島めぐりをする者が珍しくないと云う。そして老人も今年を皮切りにこれから年々つづけると云って、日に焼けるのを恐れているお久とは反対にひどく乗り気になっているのであった。 「何とか云いましたね、今の文句は?『一と夜をあかす八軒家』か。―――その八軒家と云うのは何処にあるんです」 べっこう色の水牛の撥《ばち》を畳の上にお久が置いたとき、老人は宿の浴衣の上へ、五月と云うのに藍微塵《あいみじん》の葛織《くずおり》の袷《あわせ》羽織を引っかけて、とろ[#「とろ」に傍点]火にかけてある錫《すず》の徳利にさわってみては、例の朱塗りの杯を前に、気長に酒のあたたまるのを待っていたが、 「成る程、要さんは江戸っ児だから八軒家は知らないだろう」 と云いながら、火鉢の上の銚子《ちょうし》を取った。 「昔は大阪の天満橋の橋詰から淀川通いの船が出た。その船宿のあった所なんだね」 「はあ、そうなんですか、それで『一と夜をあかす八軒家、雑魚寝を起す網嶋』ですか」 「地唄と云う奴は長いのは眠くなるばかりであまり感心しないもんだ。やっぱり聞いてい