う」と、美佐子は眉《まゆ》をひそめたが、可憐《かれん》なお久が伊賀越の芝居のお谷のようないじらしい姿になるさまを想うと、それと一緒に御詠歌をうたって鈴を振りながら旅をしようという老人の道楽が、ちょっと羨ましくないこともなかった。聞けば大阪の通人なぞのあいだでは、好きな芸者を道連れに仕立てて、毎年淡路の島めぐりをする者が珍しくないと云う。そして老人も今年を皮切りにこれから年々つづけると云って、日に焼けるのを恐れているお久とは反対にひどく乗り気になっているのであった。 「何とか云いましたね、今の文句は?『一と夜をあかす八軒家』か。―――その八軒家と云うのは何処にあるんです」 べっこう色の水牛の撥《ばち》を畳の上にお久が置いたとき、老人は宿の浴衣の上へ、五月と云うのに藍微塵《あいみじん》の葛織《くずおり》の袷《あわせ》羽織を引っかけて、とろ[#「とろ」に傍点]火にかけてある錫《すず》の徳利にさわってみては、例の朱塗りの杯を前に、気長に酒のあたたまるのを待っていたが、 「成る程、要さんは江戸っ児だから八軒家は知らないだろう」 と云いながら、火鉢の上の銚子《ちょうし》を取った。 「昔は大阪の天満橋の橋詰から淀川通いの船が出た。その船宿のあった所なんだね」 「はあ、そうなんですか、それで『一と夜をあかす八軒家、雑魚寝を起す網嶋』ですか」 「地唄と云う奴は長いのは眠くなるばかりであまり感心しないもんだ。やっぱり聞いていて面白いのは、このくらいの長さの唄物に限る」 「どうです、お久さん、何か今のようなのをもう一つ、………」 「なあに、これのは一向駄目なんでね」 と、老人は傍から引き取って、 「年の若い女がやると、唄が綺麗になり過ぎていけない。三味線にしてももっときたなく弾《ひ》くようにって、いつも云うことなんだけれど、その心持が呑み込めないで、まるで長唄でも弾くような気でいるんだから、………」 「そないお云やすなら、あんた弾いてお上げやすな」 「まあ、いい。もう一つお前がやって御覧」 「かなわんわ、わてエ。………」 お久は甘える子供のように顔をしかめて、つぶやきながら三の絃《いと》を上げた。 全く彼女の身になったらば口やかましいこの老人の伽《とぎ》をするのも大概ではなかろう。老人の方では眼にも入れたいほど可愛がって、遊芸の事、割烹《かっぽう》の事、身だし