久の傍《そば》に、老人はビラを膝の上に載せて、老眼鏡のケースを開けたところである。晴れ渡った海はじーっと視つめると瞳《ひとみ》の前が黒ずんで来るほど真《ま》っ青《さお》に和《な》いで、船の煙さえ動かないような感じであるが、それでも時たま[#「たま」に傍点]そよ風を運んで来るらしく、障子の破れが紙鳶《たこ》の呻《うな》りのように鳴って、膝の上のビラがかすかにあおられる。 [#ここから19字詰め] [#ここから罫囲み] [#割り注]内務省[#改行]免許[#割り注終わり] 淡路源之丞大芝居 [#地付き]洲本町物部|常盤橋《ときわばし》詰 [#5字下げ]三日目出物 [#3字下げ]生写《しょううつし》朝がほ日記 □初幕宇治ノ里|螢狩《ほたるがり》ノ段 □明石《あかし》舟別レノ段 □弓ノ助屋敷ノ段 □大磯揚屋《おおいそあげや》ノ段 □摩耶《まや》ヶ|嶽《たけ》ノ段 □浜松小屋ノ段 □戎屋《えびすや》徳右衛門宿屋ノ段 □道行《みちゆき》ノ段 太功記十段目(追抱) お俊《しゅん》伝兵衛 (追抱) [#3字下げ](追抱) 吃又平《どものまたへい》 [#2字下げ]大阪文楽 豊竹呂太夫 [#1字下げ]一人前五拾銭均一 但シ [#1字下げ]通券御持参ノ方ハ参拾銭 [#ここで罫囲み終わり] [#ここで字詰め終わり] 「お前、『大磯揚屋の段』と云うのを見たことがあるかい?」 「何の狂言どす、それは?」 「朝顔日記だよ」 「見たことおへん。―――そんなとこおすやろか」 「だからさ、こう云う所は文楽あたりじゃあめった[#「めった」に傍点]に出さないんだと見えるね。次には『摩耶《まや》ヶ|嶽《たけ》の段』と云うのがある」 「そら、深雪《みゆき》がかどわかされるとこと違いますか」 「ふん、そうかそうか、かどわかされて、それから浜松の小屋になる。―――とすると『真葛《まくず》ヶ原の段』と云うのがありゃしなかったかい?………ねえ、お前、………」 「………」 光の反射が座敷の四方をきらり[#「きらり」に傍点]と一と廻りした。お久が梳櫛を口にくわえて、一方の手の親指を右の鬢《びん》のふくらみの中へ入れながら、合わせ鏡をしたのである。 要《かなめ》は実はまだこの女のほんとうの歳を知らなかった。老人の好みで、風通だとか、一楽《いちらく》だとか、