のどかである。別に特長のある町ではないが、関西は何処へ行っても壁の色がうつくしい。老人の説だと、関東は横なぐりの風雨が強いので、家の外側はみな板がこいの下見《したみ》にする。しかもその板がどんな上等な木を使っても直きに黒くよごれてしまうから全体が非常にきたない。トタン屋根にバラックの今の東京は論外として、近県の小都会など、古ければ古いなりに一種のさび[#「さび」に傍点]が附く筈《はず》であるのに、ただもうすすけて陰気なばかりだ。そこへ持って来てたびたびの地震や火事で、焼けた跡に建てられるのは北海松《からまつ》や米材《べいざい》の附け木のように白っちゃけた家か、亜米利加《アメリカ》の場末へ行ったような貧弱なビルディングである。たとえば鎌倉のような町が関西にあったとしたら、奈良ほどには行かないとしても、もっと落ち着いた、しっとりとした趣があろう。京都から西の国々の風土は自然の恵みを授かることが深く、天の災《わざわい》を受ける度が少いので、名もない町家や百姓家の瓦や土塀《どべい》の色にまで、旅人の杖をとどめさせるに足る風情《ふぜい》がある。殊に大都会よりも昔の城下町くらいな小さな都市がいい。大阪は勿論《もちろん》、京都でさえも四条の河原があんな風に変って行く世の中に、姫路、和歌山、堺、西宮、と云ったような町は、未《いま》だに封建時代の俤《おもかげ》を濃く残している。……… 「箱根や塩原がいいなんて云ったって、日本は島国の地震国なんだから、あんな景色は何処にでもある。大毎《だいまい》が新八景を募った時に『獅子岩《ししいわ》』と云うのが日本じゅうに幾つあったか知れないそうだが、実際そんなものだろうよ。やっぱり旅をして面白いのは、上方から四国、中国、―――あの辺の町や港を歩くことだね」 とある四辻を鍵《かぎ》の手に曲っている佗《わ》びた荒壁の塀の屋根の、丸瓦の上からのぞいているうつぎ[#「うつぎ」に傍点]の花を眺《なが》めたとき、要は老人のこの言葉をおもい出した。淡路と云えば地図の上では小さい島だし、そこの港のことだから、多分この町は今歩いている一本道で尽きるのであろう。ここを何処までも真っすぐに行くと川の流れへ出る、人形芝居はその向う河岸の河原でやっているのだと、番頭は云っていたから、川まで行けば家並《やな》みが終ってしまうのだろう。旧幕の頃には何と云う大名の領地であったか、