でやっている。大きな町では常設の小屋を借りることもあるけれど、普通は野天に丸太を組んで莚《むしろ》で囲いをするのであるから、雨が降れば入り掛けになる。そう云う訳で淡路にはずいぶん熱心な人形気違いが珍しくなく、その道楽が昂《こう》じると、一人で使うことの出来る小さな指人形を持って町から町を門附《かどづ》けして歩き、呼び込まれれば座敷へ上ってさわり[#「さわり」に傍点]の一とくさりを語りながら踊らせて見せると云うようなのもあり、人形を愛するあまりには家産を蕩尽《とうじん》するのは愚か、ほんとうに発狂する者さえもある。ただ惜しいことにそれほどの郷土の誇りもだんだん時勢の圧迫を受けて衰微に向いつつある結果、古い人形が次第に使用に堪《た》えなくなるのに、新しい首《かしら》を打ってくれる細工人がいなくなった。今人形師と名のつく者は阿波の徳島在に住んでいる天狗久《てんぐひさ》と、その弟子の天狗弁《てんぐべん》と、由良の港にいる由良亀《ゆらかめ》との三人しかないが、そのうちほんとうに腕の出来ている天狗久は、もう六十か七十になる爺さんで、もしこの人が死んでしまえば永久にこの技術は亡びるであろう。天狗弁は大阪へ出て文楽の楽屋を手伝っているけれど、仕事というのは昔からある人形の直しをしたり、胡粉《ごふん》を塗りかえたりするくらいに過ぎない。由良亀も先代の男はいいものを作ったが、今の代となってからは理髪師か何かを本業として、その片手間に矢張つくろいをするだけである。芝居の方では新しいものが得られないから、古い首《かしら》を出来るだけ手入れをして使う。それで毎年、盆と暮とには、方々の座の破損した人形が修繕のために人形師の所へ幾十となく集まって来るので、そう云う時に行き合わせれば、こわれた首の一つや二つは安く譲って貰《もら》えると云う。 そんな話を何処からか委《くわ》しく調べて来た老人は、「今度はどうしても人形を手に入れる」と力んでいた。実はこのあいだ文楽で使いふるしたものを譲り受けるようにいろいろ手を廻したのがうまく行かないで、「淡路へ行けば買えますよ」と、人に教えられたのだそうである。そして順礼の道すがらには、芝居を見て廻るばかりでなく、由良の港の由良亀を訪い、人形村の源之丞の家に行き、帰り道には福良から船で、鳴門《なると》の潮を見て徳島へ渡り、天狗久にも会って来ようと云うのである。 「要