まったらしく、今やっているのは浜松の小屋のようだけれど、日はまだ容易にかげりそうなけはいもなく、天井を仰ぐと莚《むしろ》の隙間《すきま》から今朝来た時と同じ青空が機嫌《きげん》のよい色を覗《のぞ》かせている。こう云う折には芝居の筋なぞそう気に留める必要はない。ただうっとりと人形の動くのを視つめていれば沢山である。そして見物人たちのガヤガヤ云うのが、一向邪魔にならないのみか、いろいろの音、いろいろの色彩が、万華鏡《まんげきょう》を見るように、花やかに、眼もあやに入り乱れながら、渾然《こんぜん》とした調和を保っているのである。 「のどかですなあ。―――」 と、要《かなめ》はもう一ぺんその言葉を繰り返した。 「しかし人形も思いの外だよ、深雪を使っているのなんぞはそう下手《へた》でもないじゃないか」 「そうですねえ、もう少し原始的なところがあってもいい筈ですねえ」 「こう云うものは何処でやっても大体型がきまってるんだな、義太夫の文句に変りがない以上、手順が同じになる訳だから」 「淡路特有の語りかた、と云うようなものはないんでしょうか」 「聞く人が聞くと、淡路浄瑠璃と云っていくらか大阪とは違うんだそうだが、わたしなんかには分らないね」 一体、「型に篏《は》まる」とか「型に囚《とら》われる」とか云うことを、芸道の堕落のように考える人もあるけれども、たとえばこの農民芸術の所産である人形芝居にしてからが、とにかくこれだけに見られるというのは畢竟《ひっきょう》「型」があるためではないか。その点ででんでん[#「でんでん」に傍点]物の旧劇は民衆的であると云える。どの狂言にも代々の名優の工夫に成る一定の扮装《ふんそう》、一定の動作―――所謂《いわゆる》「型」が伝えられているから、その約束に従い、太夫の語るチョボに乗って動きさえすれば、しろうと[#「しろうと」に傍点]たちでも或る程度までは芝居の真似事《まねごと》をすることが出来、見物人もその型に依って檜舞台《ひのきぶたい》の歌舞伎役者を連想しながら見ていられる。田舎の温泉宿なぞで子供芝居の余興があったりするとき、教える方もよく教え、覚える方もよくまあこれだけに覚えたものだと感心することがあるけれど、めいめいが勝手な解釈をする現代劇の演出と違って、時代物は依りどころがあるだけに却《かえ》って女子供にも覚え易《やす》いのかも知れない