いないようだけれども、いつとはなしに顔や言葉でする感情の表わし方が昔と変って来ているのは、多分阿曽との対話の癖が出るのであろう。要はそれを見せられる時、彼女が最早や此処の家庭の者でないことを何より痛切に感じない訳には行かなかった。彼女の口にする一つの単語、一つの語尾にも「斯波」と云う家の持ち味がこびり[#「こびり」に傍点]着いていないものはないのに、それが夫の眼の前で新しい云い廻しに取り変えられて行きつつある、―――要は別離の悲しみがこう云う方面から襲って来ようとは思い設けてもいなかったので、もう直ぐ後に迫って来ている最後の場面の苦しさが今から予想されるのであった。だが考えれば、嘗て自分の妻たりし女は既にこの世にはいないのではないか。今さし向いに据わっている「美佐子」は全く別な人間になっているのではないか。一人の女がいつしか彼女の過去にまつわる因縁を離脱してしまったこと、―――彼にはそれが悲しいので、その心持は未練と云うのとは違うかも知れない。そうだとすれば苦に病んでいた最後の峠は気が付かないうちに通り越してしまったのかも知れない。……… 「高夏は何と云って来たんだ」 「近々にまた大阪に用があるんだけれど、此方《こっち》が何とか極まるまでは行きたくない、行っても御宅へは伺わないで帰るって、………」 「別に意見は云って来ないのか」 「ええ、………それからあの、………」 美佐子は縁側に坐布団を敷いて一方の手で足の小指の股を割りながら、煙草を持った方を延ばして皐月《さつき》の咲いている庭の面へ灰を落した。 「………あなたには内証にして置いてもよし、云うなら云っても構わないって書いてあるんだけれど、………」 「ふん?」 「実は自分の独断で、弘には話してしまったって云うの」 「高夏がかい?」 「ええ、………」 「いつのことなんだ」 「春の休みに一緒に東京へ行ったでしょう、あの時に」 「何だって又余計なことをしゃべったんだろう」 わざわざ京都の老人にまで知らせてやった今になっても、まだ子供には云いそびれつつ過していた要は、さてはそうだったのかと思うと、それを今日まで鵜《う》の毛ほども感づかれないようにしていた幼い者の心づかいが、いじらしくも不憫《ふびん》でもある一方、あまりのことに小面憎《こづらにく》い心地さえした。 「しゃべる積りではなかったんだけれ