いない人に軽い反感と嘲《あざけ》りの心もちを含めて云いながら、すすめられるままに杯を受けて器用に乾《ほ》した。 「さ、一つ差上げましょう、………」 「そうどすか、そんなら戴きます」 「甘子がなかなか結構です。………ところでこの頃は地唄はどうです?」 「あんなもん、しんき臭《くそ》おしてなあ。………」 「この頃はやっていないんですか」 「してることはしてますけど、………奥様は長唄どすやろ」 「さあ、長唄なんかとうに卒業しちまって、ジャズ音楽の方かも知れない」 春慶塗《しゅんけいぬり》の膳《ぜん》の上に来る蛾《が》を追いながらお久があおいでいてくれる団扇《うちわ》の風を浴衣に受けて、要は吸い物|椀《わん》の中に浮いているほのかな早松茸《さまつだけ》の匂いを嗅いだ。庭の面は全く暗くなりきって、雨蛙の啼くのが前よりも繁《しげ》く、かしがましく聞える。 「あたしも長唄けいこしてみとおす」 「そんな不料簡を起すと、叱《しか》られますぜ。お久さんのような人には地唄の方がどのくらいいいか知れやしません」 「そら、地唄習うのもよろしおすけど、お師匠はんがやかましおして」 「たしか大阪の、何とか云う検校《けんぎょう》さんじゃあなかったんですか」 「へえ、―――それよりも内のお師匠はんの方がなあ、………」 「あははは」 「かなしまへんどす、講釈ばっかり多おして、………」 「あははは、………年を取ると誰しもみんなああなるんですよ。そう云えばさっき風呂場にあったんで思い出したんだが、相変らず糠袋《ぬかぶくろ》を使うんですね」 「へえ、御自分はシャボンお使いやすけど、女は肌が荒れていかんお云やして、使わしとおくなはれしません」 「鶯《うぐいす》の糞《ふん》はどうしてます?」 「使《つこ》てます、一向に色は白うなれしまへんどすけど」 二本目の銚子《ちょうし》を半分ほどにして、あとはあっさり茶漬にしてから、食後に枇杷《びわ》を運んで来たお久は、玄関の方で電話のベルが鳴るのを聞くと、剥《む》きかけた実をギヤマンの皿の上へ置いて立ったが、 「へえ、………へえ、………よろしおす、そない申しときます。………」 と、電話口でうなずいていたのが、直きに戻って、 「奥様も泊まる云うとおいやすさかい、もうちょっとゆっくりして行く云うてどすえ」 「そうですか、帰ると云って