のが隠れ遊びに都合がよいこと、茶屋へ行くよりも時間や費用が経済であること、女と自分自身とを動物として扱うときに、外国人同士の方が互に耻《はじ》を忘れやすく、それだけあとで気が病めないこと―――などを、もし人に聞かれれば挙げたであろうし、自分でも努めてそう信じて来たのである。しかしこの女を「四肢《しし》と毛なみの美しい獣《けもの》」として卑しみ去ろうとする意志の下には、その獣身に喇嘛《らま》教の仏像の菩薩《ぼさつ》に見るような歓喜が溢《あふ》れているところをなかなか捨て難く思う心が、案外強く根をおろしている事実を、我ながら苦々しくさえ感じていた。一言にして云うとこの女は、ホリーウッドのスタアどもの写真と、たまには鈴木|伝明《でんめい》や岡田|嘉子《よしこ》の肖像なぞを所嫌わずピンで留めてある薔薇《ばら》色の壁紙に包まれた中に住んでいて、彼の味覚と嗅覚《きゅうかく》とをよろこばすためにペディキュールをした足の甲へそっと香水を振っておくだけの、ゲイシャ・ガールには思いも寄らない用意と親切とを尽すのである。彼は必ずしも面《つら》あてにそうした訳ではないが、美佐子が須磨へ出かけた留守に「ちょっと神戸へ買い物に行って来る」と、身軽な運動服のいでたちで出て、夕方頃には元町あたりの商店の包みを提げながら戻って来るのを常としていた。こう云う遊びは貝原益軒の教に従って、―――然しながらその教とは反対な趣味の上から、―――午後の一時か二時頃の日の高い間を選んで、帰り道に一ぺん青空を見た方が後味がさっぱりとするし、全く散歩の気分を以て終始することが出来るのを、経験に依って要は知っていたのである。ただ困るのはこの女のお白粉の移り香が特別に強く、体に沁《し》み着いて離れないのみか、着ていた洋服はもちろんのこと、自動車へ乗ればその箱の中へ一杯に籠《こも》るし、家へ帰ると部屋じゅうが臭くなることだった。彼は自分のみそかごとを美佐子がうすうす気づいているといないとに拘わらず、仇《あだ》し女の肌の匂いを知らせることは、たとい名ばかりの夫婦にもせよ、妻への礼儀に欠けていると思っていた。有りていに云えば、彼の方でも美佐子の口にする「須磨」と云うのが果してほんとうの須磨であるのか、それとももっと近い所に適当な場所を見つけてあるのか、ときどき好奇心を感ずることはあるにしてからが、強《し》いて知ろうとは欲しないし、