ろこの老人に名残《なご》りが惜しまれて、せめて夫婦でいる間に一ぺんぐらいは親孝行をしておいてもと、柄にないことを考えたのだが、しかし独断で承知したのは手落ちと云えば手落ちである。いつもの彼なら妻の都合と云うことに気が廻らない筈《はず》はないのである。ゆうべも勿論《もちろん》それを思いはしたけれども、実は夕方、「ちょっと神戸まで買い物に」といって彼女が出かけて行ったのを、恐らく阿曽に会いに行ったものと推《すい》していた。ちょうど老人から電話がかかった時分には、妻と阿曽とが腕を組み合って須磨の海岸をぶらついている影絵が彼の脳裡《のうり》に描かれていたので、「今夜会っているのなら明日は差支《さしつか》えないであろう」と、ふとそう思った訳なのであった。妻は従来かくし立てをしたことはなかったから、ゆうべは事実買い物に行ったのかも知れない。それをそうでなく取ったのは彼の邪推であったかも知れない。彼女はうそ[#「うそ」に傍点]をつくことは嫌《きら》いであるし、又うそ[#「うそ」に傍点]をつく必要はないにきまっているのだから。が、夫に取って決して愉快でない筈のことをそうハッキリと云うまでもないから、「神戸へ買い物に行く」という言葉の裏に「阿曽に会いに行く」と云う意味が含まれていたものと解釈したのは、彼の立ち場からは自然であって、悪く感ぐった訳ではなかった。妻の方でも要が邪推や意地悪をしたのでないことは分っているに違いなかった。或《あるい》は彼女は、ゆうべも会うことは会っているのだが、今日も会いたいのであるかも知れない。最初は十日置き、一週間置きぐらいだったのが、近頃は大分|頻繁《ひんぱん》になって、二日も三日もつづけて会うことが珍しくないのであるから。 「あなたはどうなの、御覧になりたいの?」 要は妻が這入ったあとの風呂へ漬《つ》かって、湯上りの肌《はだ》へバスローブを引っかけながら十分ばかりで戻って来たが、美佐子はその時もぼんやり空《くう》を見張ったまま機械的に爪をこすっていた。彼女は縁側に立ちながら手鏡で髪をさばいている夫の方へは眼をやらずに、三角に切られた左の拇指《おやゆび》の爪の、ぴかぴか光る尖瑞《せんたん》を間近く鼻先へ寄せながら云った。 「僕もあんまり見たくはないんだが、見たいッて云っちまったんでね。………」 「いつ?」 「いつだったか、そう云ったことがあるんだよ