一層面白くなるであろう。私はこれだけの材料が、なにゆえ今日まで稗史《はいし》小説家の注意を惹《ひ》かなかったかを不思議に思った。もっとも馬琴《ばきん》の作に「侠客《きょうかく》伝」という未完物があるそうで、読んだことはないが、それは楠氏の一女|姑摩姫《こまひめ》と云う架空《かくう》の女性を中心にしたものだと云うから、自天王の事蹟《じせき》とは関係がないらしい。外《ほか》に、吉野王を扱《あつか》った作品が一つか二つ徳川時代にあるそうだけれども、それとてどこまで史実に準拠《じゅんきょ》したものか明かでない。要するに普通《ふつう》世間に行き亘《わた》っている範囲《はんい》では、読み本にも、浄瑠璃《じょうるり》にも、芝居《しばい》にも、ついぞ眼《め》に触《ふ》れたものはないのである。そんなことから、私は誰《だれ》も手を染めないうちに、自分が是非共《ぜひとも》その材料をこなしてみたいと思っていた。 ところが、ここに、幸いなことには、思いがけない縁故《えんこ》を辿《たど》って、いろいろあの山奥の方の地理や風俗を聞き込むことが出来た。と云うのは、一高時代の友人の津村と云う青年、―――それが、当人は大阪の人間なのだが、その親戚《しんせき》が吉野の国栖《くず》に住んでいたので、私はたびたび津村を介《かい》してそこへ問い合わせる便宜《べんぎ》があった。 「くず」と云う地名は、吉野川の沿岸|附近《ふきん》に二|箇所《かしょ》ある。下流の方のは「葛」の字を充《あ》て、上流の方のは「国栖」の字を充てて、あの飛鳥浄見原天皇《あすかのきよみはらのすめらみこと》、―――天武《てんむ》天皇にゆかりのある謡曲《ようきょく》で有名なのは後者の方である。しかし葛も国栖も吉野の名物である葛粉《くずこ》の生産地と云う訳ではない。葛は知らないが、国栖の方では、村人の多くが紙を作って生活している。それも今時《いまどき》に珍しい原始的な方法で、吉野川の水に楮《こうぞ》の繊維《せんい》を晒《さら》しては、手ずきの紙を製するのである。そしてこの村には「昆布《こんぶ》」と云う変った姓《せい》が非常に多いのだそうだが、津村の親戚もまた昆布姓を名のり、やはり製紙を業としていて、村では一番手広くやっている家であった。津村が語ったところでは、この昆布氏もかなりの旧家で、南朝の遺臣の血統と多少の縁故があるはずであった。私は、「入の