近づいて来るのが、―――たまたまそれが艶《えん》な町娘や若い嫁《よめ》であったりすると、殊《こと》に可愛《かわい》い。少年の時、正月の晩などに親戚の家へ招かれてそんな遊びをした折に、あるあどけない若女房《わかにょうぼう》で、その狐の身振が優《すぐ》れて上手な美しい人があったのを、今に自分は忘れずにいるくらいである。なおもう一つの遊戯は、大勢が手をつなぎ合って円座を作り、その輪のまん中へ鬼《おに》をすわらせる。そして豆のような小さな物を鬼に見せないように手の中へ隠《かく》して、唄をうたいつつ順々に次の人の手へ渡して行き、唄が終ると皆《みな》じっ[#「じっ」に傍点]と動かずにいて、誰の手の中に豆があるかを鬼に中《あ》てさせる。その唄の詞はこう云うのである。 [#ここから2字下げ] 麦|摘《つ》ゥんで 蓬《よもぎ》摘ゥんで お手にお豆がこゥこのつ 九《ここの》ゥつの、豆の数より 親の在所が恋いしゅうて 恋いしィくば 訪ね来てみよ 信田のもゥりのうゥらみ葛《くず》の葉《は》 [#ここで字下げ終わり] 自分はこの唄にはほのかながら子供の郷愁《きょうしゅう》があるのを感じる。大阪の町方には、河内《かわち》、和泉《いずみ》、あの辺の田舎《いなか》から年期|奉公《ぼうこう》に来ている丁稚《でっち》や下女が多いが、冬の夜寒《よさむ》に、表の戸を締《し》めて、そう云う奉公人共《ほうこうにんども》が家族の者たちと火鉢《ひばち》のぐるりに団居《まどい》しながらこの唄をうたって遊ぶ情景は、船場《せんば》や島の内あたりに店を持つ町家《まちや》にしばしば見受けられる。思うに草深い故郷を離れて、商法や行儀《ぎょうぎ》を見習いに来ている子弟|等《ら》は、「親の在所が恋いしゅうて」と何気なく口ずさむうちにも、茅葺《かやぶ》きの家の薄暗い納戸《なんど》にふせる父母の俤《おもかげ》を偲《しの》びつつあったであろう。自分は後世、忠臣蔵の六段目で、あの、深編笠《ふかあみがさ》の二人侍が訪ねて来るところで、この唄を下座《げざ》に使っているのを図らずも聴いたが、与市兵衛《よいちべえ》、おかや、お軽などの境涯《きょうがい》と、いかにも取り合わせの巧《うま》いのに感心した。 当時、島の内の自分の家にも奉公人が大勢いたから、自分は彼等があの唄をうたって遊ぶのを見ると、同情もし、また羨《うらや》ましく